1日の中央線は
朝から踏切異常の感知と急病人で結構乱れてましたのに、昼間の運行障害の原因は「廃車回送」だったそうです。
こんな列車(全て5月13日に立川で撮影)です。
2両目にあるこの車両、3両目以降の209系にブレーキ等電気信号を送るため連結されていますが、その連結器が壊れたらしいです。
この部分でしょうか。
結果、昼時のニュースのテロップに流れるほどの事柄になってしまいました。
滅多に走らない列車がトラブッただけに、利用者たちははた迷惑な事だったかもしれません。
朝から踏切異常の感知と急病人で結構乱れてましたのに、昼間の運行障害の原因は「廃車回送」だったそうです。
こんな列車(全て5月13日に立川で撮影)です。
2両目にあるこの車両、3両目以降の209系にブレーキ等電気信号を送るため連結されていますが、その連結器が壊れたらしいです。
この部分でしょうか。
結果、昼時のニュースのテロップに流れるほどの事柄になってしまいました。
滅多に走らない列車がトラブッただけに、利用者たちははた迷惑な事だったかもしれません。
予定臨時列車としての運用を昨日で終了した四季彩。
引き続き7月以降も使用されるのか、あるいはこのまま廃車になってしまうのか。
今のところわかりません。
あいにくの天気でしたしコンパクトデジカメしか手許になかったので立川で駅撮り。
発車を見送りました。
廃車体や放置車輌が好きな人のHPとリンクした記念に。
95年夏。今から13年も前になってしまいました。岩見沢駅です。
「♪ら~ら~、ら・ら~ら、ら・ら~ら、だ~けど~、今日と明日はあなたに~、あえ~ない~♪」
壊れたわけではありません。思い出に残る当時のヒット曲です。そういえば大黒真希さんも北海道の出身でした。
テツではなかったもののかなり気になっていたのでしょうね。カメラを向けています。
何が気になっていたかというと、左の車輌です。
「オハフ15ではありません。スハフ14です。」
床下にギッシリ機器がついているはずなのに結構スカスカです。はまなすの寝台車に発電装置を持っていかれた残骸です。あぁ悲しき臓器提供。
噂には聞いていたものの、当時14系に廃車は出ていなかったので長い間ここで放置されていたのでしょう。
結果的に翌96年に余剰スハフ14(オハフ15ベースの550番台)は大量に除籍されましたのでその中に含まれてました。
つまり、この車輌たちは本来オハフ15として誕生し本州で活躍後、北海道仕様に改造される時に発電装置が取り付けられました。
しかし客車列車の削減などその後の活躍は長く続かず10年位で役目を終えてしまいました。
このときのカルチャーショックが原因でしょうか。Bトレも床下の隙間をプラ板等でカバーしております。
いつの間に走っていたのですね。全電動車だけにたくさんのパンタグラフを上げております。
こちらから撮ると他の車輌と区別つきません。ちなみに中間車の264の床下も他と違います。
日没前にも走っていましたので終日多摩湖線運用だったみたいです。
新車「スマイルトレイン」の陰に隠れがちですが、趣味的にこちらのほうが好きです。
なごり雪
昨日、青梅線201系の青5編成、青64編成が廃車の為長野へと回送された。
御嶽~川井間を走行する青5編成。
運用離脱後、しばらくのあいだ武蔵小金井に留置されておりました(いちばん手前)。
2月18日の営業最終日、西立川を発車してゆく青64編成。
日曜日に撮影。気にしている人がいますのであげときます。
行先方向幕白色LED・戸袋窓埋め込み・車番と西武マークが外見上主な変更点です。
そういえば最近見ないな、新宿線系統での2両固定の新2000系。
13日まで中央本線甲府~塩山間にD51が走ったので見に行ってきました。
距離としても短いしそもそもこの区間はたしか戦前に電化されているのでSLは不釣合いではなかろうか、と思いながら。
季節柄、桃の花が満開でしたのでうまく絡めて撮影できそうな場所を地図で下見。
春日居町(別田と言ったほうがわかりやすい)に目星をつけ、そこまで列車で移動し、駅から歩く。たくさんの同業者と譲り合って撮影を楽しませていただきました。
SLも良いものです。線路反対側にも沢山人がいましたが、被ってしまったようですね。
少し場所を変えてELを撮影。
なかなか組まない原色EF64と国鉄型客車の組み合わせを撮影するチャンスもこれが最後かもしれません。
撮影された方、主催者の皆様、運行を管理された皆様、お疲れ様でした。
どうしても桜と貨物列車とのコラボが撮りたくて今年はこの場所で桜見物しました。
3月29日。満開です。暗い写真になってしまったのでトリミングしています。
4月5日。だいぶ散ってしまいました。そのため引っ張って列車を大きめに撮りました。
なぜ貨物にこだわるのか。それは10年前もここで撮影しています。↓
みんなの大好きな?ホキ編成です。これで鉄・出戻り組になりました。
ヒカンザクラでしょうか。きれいに咲いておりましたのでパチリ。
E233系もなかなかいいものです。
ふと思い出した。87年3月末の同じ場所。国鉄が民営化される直前にこの場所で何枚か写したうちの唯一残った1枚。
珍車クハ183-150番台です。どういう訳かこの型式だけ塗分けが485系クハ481と同じであり、気になる形式だけに偶然やってきたのでうれしかったのを覚えています。
この車輌、確か中間車を先頭車改造したのち塗装後にドアを増設したため?なのでこの塗り分けなのでしょうか。早々とあずさ色に再塗装されてしまいました。
さらに謎。20年以上も全く成長しない自分。
おととい、青梅線201系の青4編成、青60編成が廃車の為長野へと回送された。
青梅を発車して奥多摩に向かう青4編成。
五日市線熊川~東秋留を走る青60編成。これは比較的最近の撮影です。
こちらも桜が咲く前にお別れです。
昨日、青梅線201系の青10編成、青62編成が廃車の為長野へと回送された。
特筆すべきはこの青10編成は201系のラスト編成だそうです。
雪の御嶽駅に進入する青10編成。この場所好きみたいです。
青62編成も遭遇率の高い編成でした。
小作駅に入線する青62編成。
青梅~東青梅にて。
山岳線で使用する為開発されたEF64型電気機関車の上越線仕様1000番台のうちの1両。
国鉄からJR東日本に引き継がれ、客車列車の牽引に使用された。
その後、相次ぐ客車列車の削減により次第に仕事を失い、改造されて回送電車の牽引に使用されるようになった。
用途不要になった電車の廃車回送の牽引にもあたり、マニアの間から「死神」とあだ名された。
確かに車庫で眠っている車輌をドナドナしに迎えに来る姿からすればそう見えてしまうかもしれない。
機関車にしてみれば、これも仕事だから仕方が無い。断れば自分もスクラップになるから、心あればきっとそうであろう。
しかし「死神」とは可愛そうだ。「キモヲタ」とか「ダサ男」と同じ位のレベルだからな。
日曜日、昼どうにか時間つくって近所でキャッチ。機関車好きの常連さんからのありがたい情報です。1枚撮ったらバッテリーが切れてしまいました。
京浜東北線209系ウラ1編成だそうです。機関車や2両目の事業用車よりもずっと若いのに、華奢な造りのせいか先に廃車になってしまいました。
人間と同じ、丈夫な体が長生きの秘訣かもしれません。
でも、こんな写真とって喜んでいる自分。どうやら少し病んでいる様だ。
昨日大した写真でもないのに余りにも反響が凄かったので急遽アップします。昭和63年2月です。20年前から全く何やってんだか。
昭和62~63年当時多摩川線には551系2連×2本、571系2連×4本、701系4連(1761F・1781Fいずれか)×1本でした。
551系が置き換えられるので武蔵境ホームで撮影。ホントの最後の姿。その後流山に譲渡されたかもしれない。
代わりに401系が初登場。手元に残っているのはこれっきり。
翌月には571系もあっさり701系に置き換えられてしまいました。
そのうち撮っておこう、と思っているうち401系も撤収してしまいました。
そういえば是政駅から競艇場前に向かう線路と並行する道路、是政駅前を出てT字路すぎてすぐ、斜めに横切る線路をそのままアスファルトで覆い被せた部分がありました。
一部レールが露出しており、その先は西武運輸(だったか?)の事務所でした。系列運送会社も鉄道貨物を利用していたと思いきや、その後発売されたトワイライト誌より
確認すると、線路配置から砂利採取線の分岐部と判明。しかしナゼ昭和の終わりまでその部分のレールが残っていたのだろう。
まもなくアスファルトも打ち直され、運送会社の場所も今はマンションが建っております。
これを見るために東京からやってきた。
DE50。自分と同い年の昭和45年生まれ。想像以上に巨体である。
試作機だけに不遇の機関車。国鉄時代に廃車になり長い間岡山で放置されてきた。
数年前に津山に移り扇型機関庫と共に保存される事となり、交通の要所として栄えたこの街の観光の目玉として活用され始めている。
普通ならば駅から近いこの場所を全て更地にしてマンションやショッピングビルを建設し、資材や車輌はスクラップに、が今までのパターン。
しかし現役のまま残そうとする地元と鉄道会社の粋な姿勢。
DD51も加わり見物客もさらににぎわっている。
この日は急行カラーのキハ58系も入庫し、大サービスであった。
今後このまま保存されるのであれば、あまり車輌を増やさずにDE50の整備に力を注いで貰いたいと願う。
大した活躍も出来ず戦力外通告を受け、たまたま潰されなかった。しかしその珍しさゆえ町興しに役立たれる。
なんとも皮肉な運命の機関車であった。
この日の1枚!
雨で予定がパアになったのでまた訪問。柿の木とのコラボが撮りたくて先週からずっと待ちこがれていました。
手前に撮影者や、あえて入れた踏み切りに車が入ってはと心配しましたが、おかげさまで個人採点ですが今年一番良い写真が撮れました。
パレオエクスプレスが来る1時間半くらい前から構えていましたので、様々な列車が通り過ぎました。
水色のとか、
西武の回送。
踏み切りを入れて狙うのはどうかと思いますとは誰かさんの弁。
この場所にたどり着くまで他に撮影地がありそうかと歩いていたら、突然やってきました。
オレンジ。どうにかシャッターは間に合いました。ちょうど木々も色づき始めてくれたおかげでなんとか鑑賞できる写真になってくれました。
この日の1枚
久しぶり(約25年ぶり)に出向いて参りました。
当時は西武との連絡線もなく、御花畑駅もホーム1本だけでした。ベージュとマルーンの小田急1800系の800系に乗車し寄居に行きました。どこからとなくシュガーの曲がかかっていました。
それ以来です。
御花畑付近を通過する急行電車。
かつて正面2枚窓で中間ステンレス車の300系?にあこがれ、今ほど便利でなかった時代には結局乗れないままでした。その車両ものちに165系ベースの車両に置き換えられ、最近これに代わりました。
三峰口にて。鉄道記念館が併設され、かつて活躍した車両たちが保存されています。
生え抜きデキ1型。1922年製で電気機関車としては最古の部類です。こういうの大好きです。
腰高なスタイルED38型。元阪和ロコ1000です。運転席は意外と窮屈でした。
人気のパレオエクスプレスが到着すると記念撮影大会が始まります。
三峰口での入替え。
なかなかの迫力でした。
子供の頃の印象で秩父は遠い所だと思い込んでいました。意外と近かったです。