しばらく休みます。
ブログご覧の皆様、大変申し訳ございませんがしばらく休みます。旅に出ます。
特に留守を預る「Bチーム」様、勝手な自分をお許しください。
今日は画像はありません。
鼻つまみといっても花粉症の話ではなく、この年になって覚えた言葉です。
実はじっくりと不動産を探しています。といってもクルマが買える位の金額の「安」物件です。
人に貸しても良し、自分で住んでも良し。失敗しても授業料と考えられる範囲で、全ては自己責任においてです。
ネットでとある駅から徒歩数分で隣のターミナル駅からも徒歩で通える予算内の物件が出ました。
少々古いものの間取りは2DK、3階建ての1階です。ターミナル駅で怪しいワンタンを食べて腹ごなしに地図片手に歩きます。
目的地に到着。閑静な住宅街には小さな商店街もあります。スーパーもあり、住みやすそうな街です。
しかしこの界隈に3階建ては見当たりません。探す事数分。商店の裏側に3階建ての怪しげな建物が。
裏通りに回ったらどうやらその怪しい建物が当該物件でした。
建物自体はモダンであるものの手入れが行き届いておらず、荒れ放題の1階の専用庭も隣との境界線もなく
入り口のポストはガタが来て、掲示板に目を向けると世帯半数が差押さえ物件らしく、いずれ10年前後管理費滞納であった。
「これはひどい。」今まで見てきた中で一番強烈であった。写真を撮る気力さえおきなかった。
例えば全戸買い取って徹底リフォームすれば生き返る物件かもしれないが、到底かなわぬ夢である。
実家に帰宅し、気にかけていた親に報告した答えが、
「そこは近所からの鼻つまみ物件じゃないか?よく見ると修繕積立金ゼロだしね」
最初はその言葉の意味が理解できなかったが、判るまでにそれほど時間はかからなかった。この言葉も今後とも使っていこう。
まさに安かろう物件でありました。
なんとなく自分のブログを見返したところ、この日のブログに間違いがありました。
×青8編成
○青6編成
ですね。慣れない青梅線編成を特集するとこんな事になります。写真も差し替えておきました。
折角のコメントを書いてくださったともぞうさん。もうしわけございませんでした。
先週の帰り道、中野ホームでの回送列車。
なぜか幕を回してくれました。
夜でしたのでうまく写せませんでしたが、絵入のものはそれとなくわかる出来映えです。
「あずさ」今とは微妙に違いますがアノ時代の中央線きってのスター(今で言えばカリスマ)でした。
んで、買ったものがコレ。
アノ時代の世界的スター、MJ氏。4000円超えは少々痛かったが、買ってみた。
1983年に発売し、25周年の節目として再リリースされたもの。
自分がコレを知ったのは翌84年。ちょうど中央線にはまり始めたのと同じ頃でした。
中央線に乗ったときのBGMに似合うかどうかは疑問だが、曲うんぬん言うよりもその時代の自分がリアルに思い出せます。
今見ても色褪せない力の入ったDVDはまだ見ていないが、あのスリラーを当時クラス全員でマスターできていれば学校のイベントで間違いなく注目されていたであろう。
そうであれば人生変わっていたかもしれない。
多忙&疲労につき、相変わらず放置っています。
その大原因とは、↓
最後に出てきたナントカケーキの一部。
そう、何日か前に誰かのビッグイベントに立ち会わされました。その誰かに対して漢を感じました。
しかしいまだ疲れ取れず。全ての料理をアップしても仕方が無いので、
メインディッシュ。赤ワインが合いそうですが、帰りは運転手なのでガマン、ガマン。
オマケ。会場内をこんなに大きなカメラ振り回し三脚をぶつけまわしても挨拶しないカメラマンです。
またB級グルメに戻ります。
ここでこんな相談持ちかけるのもどうかなと思うけど、まぁ聞いてください。
今回の原因は「ドリーム50」です。
これ、あるちょっと有名なお方から有償で譲ってもらったのですが、譲ってもらう前からお借りして乗車していました。
その頃に「どうしても譲って欲しい。」と言う人が現れました。50代の男性です。
しかし、前のオーナーとも接点があり、丁重にお断りを申し上げた。
「気長に待つ。」と言い残していました。
その後、前のオーナーと相談し、「いいよ。欲しい人がいればその人に売っちゃえば。」
と承諾を得ましたので引き渡す事に。
それが去年の3月頃。
早速件の人に電話で連絡を取ると、「転職して今は無理。でも気長に待って欲しい」と逆に断られた。
しかし、ひと月とたたないうちに「やはり欲しい。だから他では売らないで欲しい。」
そして、実際に会って試乗して貰った。それが去年のGWです。
「こんなに程度の良いバイク、見たこと無い。」ベタ褒めで譲受書類なども作成し手渡してくれました。
折角なので5月中に廃車にし、自賠責も解約しました。これで街は走れなくなりました。
その後「土日休みが取れない。秋口になれば休みが取れそうだ。」と言って9月に約束をした。
9月引渡しもキャンセルされ、電話を入れると「先日目の手術をした。でも正月休みには乗りたい。」
その時もそれっきり。電話すれば「1月一杯までまってくれ。」
とりあえず1月末まで待つことにし、約束の27日になった。連絡なし。こちらから電話を入れると
「おととい急に目から血が出てK大学病院に入院してしまって、-(中略)-、来月の中旬まで待ってくれないか。」とのこと。来月こっちが休み取れねーよ!
肝心のバイクは汚れてきました。次第にエンジンのかかりも悪くなってきています。マフラーには小さな穴が...。野ざらしで可愛そうです。
これを手放さなければ次のバイク買うことが出来ません。
本当にこの人を信用してよいのだろうか。それとも他の人に譲った方が得策なのでしょうか。まだ程度が悪くならない今のうちに。
今年1年間のアクセスをふり返ってトップページやカテゴリーを除くものでどの記事が良かったのか、ざっと調べてみました。
第10位 中央線ダイヤ改正にむけて
3月のダイヤ改正で編成の組み換えが行われました。201系は7編成。全て残存しております。
第9位 鹿島鉄道DD901
整備した翌日解体という結末。鉄道が廃止になる少し前の出来事でした。
第8位 2007・急行はまなす
北海道&東日本パスで利用できる夜行列車。混雑具合などが皆さんの興味をひいたのでしょう。
第6位 東西線5000系
下と同じアクセス数。ぶれた写真でしたが話題性のある車輌でしたからでしょう。
第6位 201系T30編成
こちらは数日しか使用されなかったT130標記が珍しかったです。
第5位 東京メトロ東西線07系
営業運転開始直後で興味深かったでしょう。
第4位 吉祥寺・武蔵屋別館
上位に食い込んだ唯一のフードネタ。
第3位 201系T110編成
最もくたびれたこの編成。人気がありました。
第2位 201系京葉線その2&E331系
聞く話によるとE331系はこの翌日が最後の営業運転になってしまったそうです。それだけ貴重かもしれません。
第1位 201系H23(T125)編成
一体何でこの記事が??謎です。
皆さんのホットな情報・興味の沸く記事がアクセスにつながっていると思われます。
来年もまたよろしくです。
今回は家の事を書きます。あと自分のことを「俺」とか少々汚い言葉で表現するが許して欲しい。
少しでも具合の悪い事であれば即、削除しますので折角コメント記入していただいた人には申し訳ありませんがご了承いただきたい。
俺は基本的に1人暮らしだが、他所で一人暮らしの兄と実家に父母、そして居ついてしまった雌猫が居る。
オヤジは小さな会社を経営していた。
景気の良い頃は平日ゴルフだの高級居酒屋だのひとり羽振りは良かった。しかし長引く業界全体の不景気で倒産した。
誰の相談も無く個人的な「お付き合い」で勝手に建てて22年間生活していたその家は、新築で買ったものの住みにくくしかも不便。
そんな家も担保にかけられ引越しを迫られる事になった。
以前、何気なく見ていたテレビのドキュメントが他人事でなくなっている。
最初は実感沸かなかったが家財道具類を少しづつ処分してゆくうちにひしひしと感じてきた。
オヤジが勝手に引越しを決めたその日は年も押し迫った23日であった。前日に会社の忘年会があったが断った。
天気の良い寒い朝であった。
引越しもプロではなく下請けの男3人が平台トラックをレンタカーを借りて乗りつけてきた。
次々と荒々しく荷物が運び出される。猫が嫌がって家出をしてしまった。
俺は留守番しながら忘れ物がないかチェックしている。
日が傾く頃にはあらかた運び終えた。
兄が家の車(この車も俺名義で母に金を出させ見え張って知り合いのディーラーから買ったもの)で母を迎えに来た。猫はまだ帰ってこない。
先に母を送り出し、ガランとした家でひとり待つ。日が暮れるころ猫が帰ってきた。逃げ出さぬよう猫に首紐をつける。凄く辛い。可愛そうだが仕方が無い。
やがてオヤジが迎えに来た。のこり僅かの荷物と嫌がる猫を引っ張り車の中へ。
車の後部でずっと猫は鳴き続けた。俺も辛いが何も知らない猫はもっと辛いであろう。
長い時間に感じたが、30分くらいで新しい家に着いた。
築40年以上の古い家である。今までの半分くらいの広さで、いたるところ歪んでドア開閉もままならない。
唯一広い部屋は、ここまできてもオヤジに占領され、戸棚も自分のもので埋め尽くされていた。
猫は紐をつけたまま押入れの奥に入ってしまった。震えている。死にたい気持ちだったろう。
新聞の勧誘が来た。普段はうっとおしいがこの日ばかりはなんだか支えられた。
気が付けば手が汚れていたので洗おうと洗面所のお湯をひねるが蛇口がさび付いて動かない。
どうにか開いても錆だらけの水でとても飲む気にはなれなかった。
みんなで晩飯を食べに行った。刺身や鍋を食べたが美味くはなかった。
家に帰って、順次風呂に入る。金属製の湯船に追い炊きは付いていない。スイッチの無い換気扇が回り、容赦なく暖気を外へ追いやるのでかえって寒い。
片付けのいかない家にどうにか寝るスペースを設け、布団に入る。
長い事住んでいない家だったらしく、底冷えがする。温度計を見ると0度であった。
猫も意を決して動き出し、鳴き喚きながら家中、時には外へと歩き回る。
疲れていたが寝る事はできなかった。
翌日、オヤジが勝手に朝飯を買いに行った。コンビニのおにぎりである。食べたくも無いものを並べられてもとにかく口の中に押し込むだけであった。
部屋の荷物や家具の件でオヤジが切れた。俺も切れた。
昨日の下請けがやってきてエアコンを取り付け、別の業者が家具を届けに来た。
猫が嫌がるので、押入れの布団の上を誘ったらそこでようやく寝てくれた。
洗濯機の水道水が出ない。管が凍っているらしい。お湯の蛇口が使えたので給湯スイッチを切って母が洗濯を始めた。しばらくお湯は使えない。
兄はカーペット敷いたりテレビアンテナの設定やら蛇口の修理やら必死だった。
また日が暮れてきた。
今日から教習所なので、後ろ髪を引かれる思いで家を後にして西武線の駅へ。今夜も寒い。
国分寺に出る。改札を抜けて明るくにぎやかなコンコースへ。飾り付けられたツリーが眩しい。
今日がクリスマスイブだとこの時初めて知った。
見渡すと周りの人達は皆、笑顔ではずんだ足取りである。電車とバスを乗り継いで教習所へ。辛いはずの教習項目が不思議と楽しいものであった。
あまりにも淋しいのでスポーツジムへと足を運ぶ。
他に来ていた常連は同い年の男一人だけであった。「これから彼女と教会にいくんですよ。」と早々と帰っていった。
完全に孤独になった。惨めである。自宅への帰宅途中、少し胸がこみあげてきた。
翌日、寒さ感じず日帰り旅行を敢行した。
35年以上生きてきたが、これほど精神的にこたえた日は久しくなかった。
その後半年ほどで実家はそこから脱出する事ができたが、母親は度重なる引越しで少し体を悪くしてしまった。基本的に元気であるが、猫も。
全てはオヤジの見栄とやせ我慢と無責任に起因するものである。ブログに載せる事は本人に伝えてある。
少し物足りないと感じる位の平和な生活がいちばん幸せな人生なのかもしれない。
2006年12月6日にひっそりスタートしてから1年、これも閲覧している皆様のおかげさまです。
今あらてめて見返すと最初の頃はかなりぎこちない感じですね。
この1年何気に見続けると、時にはブログの話題づくりでもあるとはいえ、意外とアクティブに動いていたかもしれません。
しっかしまぁよく話題をコト欠けずに提供し続けましたなぁ、自分でも感心します。
ホントはこんなネタ披露するはずでした。というか現在を知っての書込みです。
E233系試乗会でお披露目!中央線から201系撤退へ!(2006年12月6日)
ブログ開始しました。早速ながら先週の土曜日(12月2日)噂の新車、E233系の試乗会が行われました。
小仏で狙いました。露出がきびしいです。同じ東京都とは思えないほど空気が冷たいです。
T2編成の試運転にも遭遇。
E233系もそのうちきっと当たり前になるのでしょう。
こんな当たり前の風景も来年の今頃は201系も相当数を減らしているのでしょうね。
こんな話題を中心に中央線沿線情報などをお届けしていこうと思います。よろしく。
といった具合でしょうか。
現在は話題の中心、中央線201系も予想以上に数を減らしてスマートなE233系が沿線に溶け込んでおります。
今後とも出来る限り長く続けていきたいと思います。
昨日のコメントにも記入されていましたが、ちょっと目を疑いたくなるような立ち振る舞いがやたら目に付く。
ホーム先端で目的の列車の進入を待ち、ただ撮影するだけであるが、そこが乗客の通り道であるにもかかわらず三脚や脚立を立てたり、
待ち時間に大声での話し合い、ゴミの散乱やに罵り合い、目的の列車が来ればホームからはみ出して身を乗り出す。
そこまで周囲に迷惑をかけながら撮った写真が素晴らしいものなのか?
昔からあったかもしれないがもう少しマシだったと思いました。共通して言えるのは他人を近づけないオーラを出し続けている異様な集団である事です。
同じ鉄道趣味人として恥ずかしくない行動を心がけたいです。
さて、昨日は青70編成が廃車のため長野工場へ回送された。
ペンキ塗りナンバーや窓枠に特徴の最終型、いわゆる軽装車である。
最終型とはいえ、結構疲れています。
前回の青69編成(撮影しないまま終わってしまいました)の時、中央線自走不可の為機関車牽引で廃車回送となり、その珍しさゆえカメラ連中が押し寄せ大変な騒ぎになったと聞きました。
そこに従事している人達や日常的に駅を利用している人達に多大な迷惑をおかけしたそうです。
今回も機関車牽引であり、結果どうなったかは判らないがこの廃車回送が行われるたび、マナーというものを考えてしまう。
最近運動しているにもかかわらず体重が増加傾向にある。裸で58キロと数百グラム。健康診断が近いというのに困ったものだ。
そんな事はさておき、またある雑誌に集合写真で自分の写真が載ってしまった。
前回の失敗があるため写真撮るとき表情に気を使っている内、気づけば「大きい」メンバーにとり囲まれてど真ん中。
という訳で一層小さく見えてしまう懸念があった。
期待半分怖さ半分で本を開いて写真を見ると、それほど遜色なく溶け込んで写っていましたので少し安心です。
いわば「本線用大型機関車と機関区で憩うDE」位の存在感でしょうか。
前から気になっていたのですが、時刻表の路線図や地図を見ると、近畿~中国地方を太平洋と日本海を結ぶ路線、つまり中国地方を南北に結ぶ路線が結構あります。
それらを順に乗り通してみようかと計画中です。年もトシなので、のん気に出来るのは体力的にもそろそろ限界でしょう。
とはいえ、乗り潰し派ではなく、一筆書きで乗り通す程堅苦しくするつもりはありません。
東京から何回かにかけて時間ある連休(つまり青春18きっぷなどが使える間)にやってみようかと思います。
でも今度の3連休には間に合いそうにありませんので10月からでしょう。
とりあえず、福知山~加古川~山陽~播但~山陰~因美~姫新で攻めてみようかと。
西日本に関しては素人同然です。常連さんアドバイスありましたら助言願います。
最近発売されたある雑誌に自分が写っている写真が出ていた。ちょっと間抜けな表情には苦笑した。
さて、集合写真であるため一緒に写っている仲間たちと自分を客観的に比較が出来た。パッと見でどう感じるかである。
結果を先に言うと、自分はズバリ「インパクトがない」のである。
残念ながら二枚目ではない、かといって特徴あるわけでもない。全体的に小柄なため存在感がさらに薄い。
シャツの胸の辺りの筋肉は盛り上がっているが、よく見なければわからない。
人間、第一印象で人格が決めつけられる事も多い。かつては体力もなく貧弱な体つきで、「見てくれのとおりの人物」であったので
甘く見られた事も多かったのは納得が行く。
少しでも自分を大きく見せようとするため高価な車に乗ったり高価な鞄やら財布やらを身につけ生きがっていたりもした。
背伸びをしたその姿は人から見れば滑稽でしょう。今思い出しても恥ずかしいものである。
その後体を鍛え、体型は良くなったが所詮は写真の通りである。
鉄道車両でもこんなのいるかな?と当てはめると、だいぶ好みが入っていますがこのあたりでしょうか。
ヘッドマークを付け優等運用に就くキハ400。元は地味で非力なキハ40です。
まぁ、見えなど張らずに自分にあった生活がいちばんですね。
どうにか取得できました。ブログ更新途絶えていた理由はこれです。
先週は心配で気が気でありませんでした。
土曜日の炎天下の昼、当日教習所において受験者5名。大型は自分1人。他高校生3名は中型、もう1人30代の男性はATです。
発着点に歩いて向かう。35℃の気温がアスファルトが照り返し容赦なく襲い掛かる。
最初は自分。暑さの中集中力をきたさず発着点に戻ってくる事だけを考えて走らせました。
しばらくは四輪コースを走り、不安であった急制動もクリア、その後は検定コースで二輪コースを走りました。
そろそろ暑さで集中力が欠き始めました。一本橋をどうにか渡り終え、クランクでラインを誤り外側に大きく膨らんでしまいました。
ダメもとでハンドルを一杯にきって進めたところ、前輪が僅か数センチでパイロンをかわしてくれました。
最後のスラロームも暑くてグタグタ。途中でギアがニュートラルになる始末。でもどうにか発着点に戻ってくる事が出来ました。
その後4名の試験をベンチで見学をしたかったが疲れはててずっとうつむいたままだった。
時折見ると、皆いい走りをしている。ただ、最後の人は一本橋で落ちてしまったようだ。
結果発表。最後の人を除いて全員合格。落ちた人も一本橋さえ通過できれば5人全員合格だっただけに、ちょっと残念であった。
試験内容を教えてくれると一本橋は規定10秒を少し不足、スラロームはかなりオーバーしていたそうです。他に合図消し忘れ1回でした。
ギリギリでしたね。
試験管殿、この暑さの中体調不良のところ検定していただきましてありがとうございました。この場を借りてお礼いたします。
結果、規定12時間+3時間オーバー+自由練習1時間の合計16時間で卒業。かなり険しい道のりでした。
必死になって一本橋やらスラロームを走行する事はもう無くなってしまいました。
関東地方も遅ればせながらまもなく梅雨明けだそうである。いよいよ暑い夏が来る。そして寝苦しい夜も来る。
そんな20年前の今頃の熱帯夜。日が長いこの季節になるとどうしても眠りが浅く、夜明け前に目が覚めてしまう。
また寝ればよいのだが、数年前の感動をもう一度味わいたく起床する。どっちみち試験休み中なので朝寝坊ができる。
部屋の明かりをつけ、周囲の迷惑にならないようにラジオのボリュームを最小に入れる。
残念ながら中央線の急行は前年秋に壊滅状態まで消されてしまった為、興味の対象をまだ行った事のない北の大地に見出した。
というわけで「道内時刻表」が今夜の友である。
午前3時を回っている。上り「利尻」はもうすぐ旭川に着く。「大雪」も上川で下り便と交換し旭川に向かっている。
どちらも寝台車を数両連結し、座席車もリクライニングシートでありグレードが高い。ちなみにラジオもステレオコンポになった。
時刻表を片手にチューニングをあわせながら時間を潰す。至福の時間である。
3時半だ。利尻は旭川で電気機関車に交代し、札幌に向けて発車。複線電化幹線区間であるため、速度が上がる。外は真っ暗。時折踏み切りを通過する。
もうすぐ4時。うっすら外が明るくなり始めた。窓を開ける。部屋に新鮮な空気が入る。しかし夜行に使われている14系客車は窓が開かない。
「利尻」は深川に到着。留萌線や深名線の気動車がアイドリングをして出番を待っているだろう。
深川を発車。「大雪」も機関車を交換してまもなく旭川を発車する。
夜行アルプスに思いを馳せていた3年前ヒットしていた洋楽をかける。
あれから3年が経つ。社会も変わり、周囲の環境も少しだけ自分のアタマの中も変わった。しかし、この悪趣味?だけはやめられない。
朝日がさしこんできた。オーディオのメッキ部に光が反射する。4時半である。朝刊を配達するバイクが走り回る。一日の始まりである。
時刻表に目をやると「利尻」は滝川に、「大雪」は深川に近づいている。
「利尻」は滝川を発車。砂川に向かう。石狩平野の中を一直線に走っているのだろう。
まだ行ったことなき北海道である。残念ながら車窓や車内の様子は想像であり、実感が沸かない。
家から少し離れた幹線道路の交通量が増え始めた。いつもの朝である。
もう5時。「利尻」は美唄を過ぎ、後を追う「大雪」は妹背牛、江部乙を通過し滝川に近づく。いかにも北海道らしい駅名である。
デッキをチューニングに戻せば深夜放送も終わり、朝のニュースが流れる。
ニュースが終わる頃には「利尻」は岩見沢。次は札幌、もう終点である。
そろそろ就寝します。北海道の夜行列車への憧れはますます深まった。
気がつけばブログを始めてもう半年。早いものです。
振り返ると、半年の間に随分と色々なジャンルで書いたものだと我ながら感心しています。
今月は精神的にかなり重く、辛い日が続きそうです。
しばらくはブログの更新も少なくなるかもしれませんが、継続できるよう努力いたしますのでお付き合いの程よろしくお願いします。
あと、ジメジメした季節ですので健康管理には気をつけていきましょう。
眠れないままに午前3時になってしまった。昭和59年の今頃。ラジオから「歌うヘッドライト」がオンエアされています。
単なる運動不足であろうが、悶々としてもしょうがないので時刻表を開いて前の年に松本まで乗車した夜行鈍行を思い出しながらトリップをしています。
甲府で1時間停車。ドアを手で開けホームに降りる。
ホームは乗客たちが降りて時間を潰している。タバコを吸う人、自販機で飲物を買う人。缶蹴りを楽しむヤングな兄さん姉さん・・。
最後部では荷物、郵便物の受け渡しをやっています。その横の真っ暗な身延線ホームにワインレッドの新しい電車がやはり荷物車を後ろにつけて朝を待っています。
時計の針は3時20分。時刻表に目をやると9号は塩尻にいます。11号は上諏訪を発車しています。先ほどすれ違った上り便はもうすぐ八王子に着きます。
ラジオから「矢切の渡し」「さざんかの宿」やはり演歌中心で、時たま歌謡曲がかかります。「トラック野郎」が流行っていた頃のドライバーの好みでしょうから仕方ありません。
前日の夕方18時10分に長野を発車し、一晩走り続けた上り夜行442Mは3時46分に立川を発車しています。武蔵小金井を56分位に通過。窓を開け、耳を澄まします。
遠くにジョイント音が聞こえます。この音で間違いないでしょう。
4時を回っています。早い出発のアルプスは松本に近づいています。13号は上諏訪です。客車の57号は小淵沢にいます。441Mは甲府を出ました。
なんだか空しくなってきました。そろそろ休もうか、と電気を消す。が、窓の外が青くなっている。
もう一度窓を開ける。東の空がうっすら明るくなってきた。西の方はまだ真っ暗。ヒヨドリが鳴き、少し離れた幹線道路を時折トラックが通過する。
441Mは韮崎あたりでしょうか。さすがに意識が無かったようで記憶がありません。
時間が経つにつれ、じわじわと明るくなってきた。赤く染まる雲。涼風の中を雀が飛び、朝刊を配達するバイクが走り回る。
東から光が差し始め、西の空も青くなっている。毎日繰り返されている当たり前の風景とは知らなかった。
気がつけばアルプス13号も朝日を浴びながら松本に到着するころだ。午前5時、深夜放送も終わりを告げ、一日が始まりました。
臨時の9631列車は走っていれば岡谷です。終着辰野も近いです。この列車は夜行425列車が電車化され441Mとなった夏から臨時で復活したと、鉄道雑誌の乗車レポで読んだ事があります。
臨時だけに接続が悪く、87年のGWあたりが最後だと思います。
441Mは小淵沢です。小海線に乗り換える山男たちが下車してゆきました。列車もここから通勤通学列車になり、まったりと松本、長野へと走り続けます。
さて、思い出もここまでにして寝ましょうか。
あっという間に起床時間。たった2時間しか寝ていないから体が重く吐き気がする。今日が日曜日だったらと恨めしく思いながら登校したのはいうまでもない。
その日どんな授業をどういう状況で受けたのは当然覚えていないが、10時3分、2時限目の授業中に441Mはようやく長野に終着。
そして数時間の休憩の後新宿に戻ってゆく。そして深夜再び長野へ・・。
夜行列車への思いが高まったのはいうまでもない。
しかし441Mは新宿から松本まで8時間かかってますね。この10年後にはスーパーあずさが同じ区間を2時間半で走破しています。
夜、寝ようと床についたが寝付けない。昨晩もそうであった。
とにかく寝付かないと、とばかりに明日の事など考えるとかえって目がさえて悶々となる。
そんな時は思うがままにあきらめると意外と寝付けるものであった。
さて、これは今から23年前の話。とはいっても不思議な事が起こったわけでもない。
前の年(24年前)の夏休みを夢うつつで思い出しながら過ごしているのでご理解いただきにくい部分もあるがご了承いただきたい。
いつもどおり布団に入る。しかしどうしたものか、普段なら意識がなくなるはずであるがこの日に限り意識がはっきりしている。
しばらく目を閉じ続け、じっとしている。ダメ。寝返ってポジションを変える。それでもダメ。
そうこうしているうち家族全員寝たようで家や周りが静かになっている。
時計を見ると午前1時。かなり焦る。
やむなく起きて電気をつけて、とりあえず時刻表、中央線のページを開く。
(時刻表は最近83年9月号が入手できましたのでそれをまとめました。)
今現在アルプス9号、まもなく甲府。11号大月発車。13号は上野原付近か。
当時、松本まで乗車した初めての夜行列車・441M鈍行は、後ろに荷物車2両つけて堂々10両、相模湖を発車したところだ。
115系のサハ車2両をはさんで暗闇の山道を突き進む。窓を開けると冷たい風が心地よい。おっと照明が明るいから虫が入ってきた。
編成の後ろから荷物車の重いツリカケモーター音がこだまする。
律儀にこんな時間でもひとつひとつ駅に停まる。その度に乗客が少しづつ下車し、車内が空いてゆく。
でも発車の度に「ドカドカドカーン!」といった揺れは辛い。
1時45分か。9号はもう甲府を出たころだな。53号は走っていれば甲府着。11号は山梨市を過ぎ、13号は笹子トンネルあたりか。
441Mは大月停車中。新宿駅ホームでクーラーボックスを並べて売っているスタンドで大人びて買った缶コーヒーを開けて飲む。
時刻表のページをめくる。富士急行が河口湖行きを接続している。休日だけであるが2時20分発のこれに乗れば3時13分に河口湖に着く。
すぐにバスに接続し裏三つ峠に3時45分、ここまで行ける。富士山の御来光を拝めるのだろうか(ここはどうやらハイキングではなくクライマーの場所らしい。最近知りました。つまり朝からクライミングをファイト一発する人たちの為のアクセスですね)。
2時ちょうど。11号はキリの良いこの時間に甲府を発車したはず。13号は山梨市を通過したところ。441Mは笹子トンネルに向けて快速運転をしています。こんな場所でもう上り442Mとすれ違いました。
小型ラジオをボリューム最小にして聴く。DJがリクエストを読み曲がかかる。
40分が過ぎ、13号は今頃甲府。441Mは山梨市に到着して隣の席の人が下車。ようやくシートに横になれます。でもNCAAのショルダーバッグのベルトは離せません。大した物は入っていませんが。
横になったとはいえ発車時のショックはシートから落とされそうだ。うつろなまま甲府到着。
時計を見るともう3時。長い夜はつづく・・・。
先月もどうにか1ヶ月持ちこたえました。ただ、19日と24日は更新できなかったのが悔やまれます。
理由はネタ切れをおこしはじめています。
長編を何回かに分けて連載してゆかと思案中です。
5月病にかからぬように頑張って乗り切りましょう。
先月も全ての平日ほか可能な限りアップできました。我ながらよく続くものだと感心しました。
アクセスも増え、ありがたい限りです。
今日も中央線ドア横に立ってあの小さなドア窓から流れる車窓をみながら、ボーっと学生時代社会人になってからの楽しかった事辛かった事を思い出したりしています。
いわば自分にとっての201系はタイムマシーンみたいなものです。今日は桜が満開です。
エイプリル・フールは過ぎましたが、平日は毎日更新するつもりでいきたいと思います。
どうぞお付き合いの程よろしくお願いします。
2月もサボリ1日とアップ失敗1日を除けば、平日ほぼ毎日更新することができました。
アクセス数も増え、ますますヤル気がでております。
今月もできる限り話題を提供し続けるつもりですので、末永いご愛顧の程よろしくお願いします。
当ブログですが、平日毎日更新しながらいつネタ切れ起こすかわからない不安に掻き立てられながらも、どうにか1月も無事に終えることが出来ました。
さらに話題の多い201系、E233系を特集すると、アクセス数も増えて喜ばしい限りです。
今後さすがに毎日とはいかないでしょうが、なるべく早いサイクルで更新し続けたいと思います。
今後とも末永くよろしくお願いします。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
今朝の新聞で、こんなニュースが入った。アキデパ(秋葉原デパート)が今月いっぱいで閉店し、取り壊すとのこと。
2階に100円ショップがある。かつて、バイトしていたことがある。
とても複雑な思いである。
まだ当時、アキバ、いや秋葉原はただの電気街だった。大画面ブラウン管テレビが店頭を飾り、CDラジカセやワープロなどが充実していた。
傍では電子部品を小売している店も多かった。100円ショップも社会にまだ定着していなかった。
外人客も多かった。
貧乏学生だった。友人たちは稼いだ金で車を買い、高価なものを身に着け始めていた。来るべき冬に向けてスキー用品を買い揃える連中もいた。
そんなカンチ君たちを横目にダサ服(今で言うアキバ服)で労働に励んでいた。
あれから16年経つ。
時代はめまぐるしく変わる。特にこの街はさらに速いスピードで変わり、新たな情報発信地となっている。
裏にあった市場の跡地もすっかり綺麗になり、その中で時が止まったようなこの店も終わりになってしまう。今尚流行っている電子部品店はどうなってしまうのだろう。
店の入り口で包丁の実演販売をしていたオジサン、元気かな。
ニックネームを変更いたしました。たった一日で申し訳ない。
広く募集したところ、友人のたまQ君(小田急線みたい)と、蒼井優(似)のTちゃんの2人につけてもらいましたのでそのままドッキングしました。
少しアレンジしてあります。
いやはや、どうなることか。
最近のコメント