2009年10月21日 (水)

塩尻から帰宅

16時12分に出る列車が比較的スムーズに帰宅できる時間である。
このスジで帰宅するのは初めてである。
Sioji まずこれで小淵沢まで行く。
かなり混雑していたが、満腹なので立ちんぼうも悪くない。
岡谷で座れた。Yatuga
ちょっくら八ヶ岳でも眺めます。Butiza
小淵沢から甲府まではこの電車。置き換えが予定されているのでまもなくお別れです。Hinoha
日が暮れてきた。
オリジナルカラーを守り続けてきた115系300番台。Asi たまたま乗り合わせた若い女性の足元であるが、問題なかろう。
これだけ狭いシートでありながら中学時代の人生初の「夜行列車」であり、さらに思い起こせば小学時代小淵沢から乗車した「臨時アルプス」もこれだった。
新車の香りとドア横のシートで頬張ったトウモロコシが忘れられない。
こう思い出すと自分の人生もちょっと乗せてもらってくれた。
前の女性に声でもかけようかと、しかし睡眠中であればどうにもならないのであきらめた。
Kofu 日が暮れた甲府駅で高尾行きにのりかえ。
座席がほぼ埋まるくらいの乗車率であった。
外もあまり見えないので惰眠する。
国道は渋滞している。
大月で後続の東京行きがあるので下車する人も多かった。Takao
高尾からは「中央特快」で帰宅。
なんだかんだで結構疲れますね。

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2009年10月17日 (土)

小野駅

3331 なぜ何度も同じ所に行くかというと、前にもちょろっと書いたとおり
「デジカメのデータがぶっ壊れた」のであった。612

駅も良い佇まいである。3209

ちょっと欲しくなりました。
この駅の周りには撮影場所がいくつかあり、駅からも手軽に撮影を楽しめる。
とはいえ、1~2時間に1本しかない!
半日かけて撮影したデータが飛んでいた時は、それこそ小野駅だけに
「オ~~!ノ~~(まゆみ) !」という気持ちであった。
駅の周囲には時間をつぶせるような場所もあまりない。
808 今回は駅撮りで済ませました。

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2009年10月 2日 (金)

久々の登山 3

3287 陣馬山から歩いてきたが、まだ正午である。
小仏峠から城山→高尾山へ続くが、靴底が外れてパカパカと音を立てて歩くのは正直不安である。3289
今回は仕方なく下山する。3290
歩きやすい道で小仏に向かうが、かなりの高低差があるので坂は急である。
さすがに歩き続けたので疲れて膝が笑う。靴も笑う。3293
15分ほど歩けば車の通れる砂利道になる。3294
暫く歩けば、水が沸いてます。3295
なぜかあっという間に人だかりができました。3297
やがてここから舗装道路になります。3299
40分でバス停に。発車間際なので急いで乗車。3300
ここで問題、というより大問題。
涼しい風が背中からそよぐ。それが、
自分を通り過ぎると「凄く臭い」。
バスは満員である。これは恥ずかしい。
クレームが出たら素直に謝るつもりだったが結局どうにか甲州街道に出て高尾駅に着いた。
反対車線は大渋滞であった。3302
さて、駅ホーム名物「おでんそば」でもたべましょうか、今日は2品トッピングで。
メ ニ ュ ー か ら 消 え て い た 。

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2009年9月30日 (水)

久々の登山 その2

3270 陣馬山すぐ下。彼岸花とパノラマ。
明王峠に向かいます。3272
登山者が多くなってきました。3273

道幅もあり比較的歩きやすいです。3274
陣馬山から30分で明王峠に着きました。3275 休憩なしで進みます。

しばらく木立の中の殺風景な場所を歩きます。3277
20分ほど歩くとアクシデント発生。
さっきから変な足音だったのでよく見ると、3278
靴がパックリ口をあけています。
あまり絶好調で浮き足立てば事故の元。
少し不安を抱えていた方が良い場合もある。3280
送電線が見えた。久々の人工物である。明王峠から影信山まであと1/3くらいである。3282
藪が深くなってきました。
きつい坂を上りきれば影信山。明王峠から1時間で到着。3284
休憩の上、小仏峠に向かいます。
ここは東西に見渡せるスポットで、はるか下に中央線や中央道を見ることが出来ました。
高速道路の渋滞でも眺めさせてもらいましょう。3285
坂道を慎重に下りる事20分、小仏峠に着いた。3288
木々がうっそうと茂って視界がぜんぜん広がりません。
こんなハズじゃなかった。小仏トンネルに向かってくる中央線の列車、しばらくして反対側にその列車が走り去ってゆくという風景はいったいどこに。
そう、あれから30年近く時が経っていた。つづく。

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2009年9月28日 (月)

久々の登山

683 陣馬山。今回の連休でようやく実現した。3244
さて、まず藤野駅で下車。
ここからバスが接続。神奈中バスのHPで事前に調べておくと便利です。
10分くらいで「陣馬登山口」に到着。3246 10人くらいがバスから下車。3247
登山口にて、ここから山頂まではおよそ1時間40分かかるそうです。3248
登山口からしばらく舗装された道路ですが坂道は結構きついです。3249
集落をすぎればようやく山道らしくなります。3253
やがて、上沢井ルートと合流。3254
時には九十九折で高度をかせぎます。3256
尾根づたいに歩くルートですが、木々が茂っているのであまり視界が広がりません。3257
こういった固い地面むき出しの場所か、3258
やわらかい足場のどちらかです。3261
ちょっとアートな感じです。3267
汗びっしょりになった頃、階段が現れます。ここでリスと遭遇。残念ながらカメラ間に合いませんでした。
階段を登れば頂上に着きます。684
デジカメの撮影時間から読めば1時間25分で登れました。3269
熱々のコーヒーで休憩。つづく。

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2009年8月28日 (金)

森林鉄道の廃線跡を辿る 3

Blw 団体客に押さえられ森林鉄道の乗車はかなわなかったが、たっぷり満喫できたので上松まで小川線の廃線跡を辿ります。
赤沢を出てまもなく、下柿沢支線と合流するはずである。Ca
この橋か?架け替えたとしても立派である。少し自転車を走らせると・・・。Cb
「これだ!」ちょうど道路にやや斜めに合流している。Cc

しかもこの付近は広いのでヤードであったことは想像できる。
上松へと走らせる。下り坂なのでペダルも軽い。
Cd ガードレール。以前に比べだいぶ少なくなっているので記録。
二股でちょっと寄り道。Ce
柵を越えて黒沢支線を歩きます。Cf

砂利道を10分ほど歩けば、小中尾支線の鉄橋が、Cg

これですね。渡れませんが完璧に近い状態で残っていました。
また戻って小中尾のスイッチバック。Ch Ci
給水塔台まで残っています。Cj
貯木場。林鉄のレールが活用されています。
陽も傾きはじめました。急ぎましょう。
まもなく焼笹。Ck

道路は橋をわたりますが線路は直進、藪の中です。
しばらく道路を走り、ここ高倉橋で合流。Cl
舗装された道路を走ります。Cm
残念ながら駒ケ岳は雲に隠れてますがそれでもすばらしい景色です。Cn
Co やや狭い道をしばらく走れば行き止まり。Cp

かつては進めましたが今は通れませんのでバス道に迂回します。Cq
小川を渡るトラス鉄橋。上松は近いです。
水道管をくぐって木曽川沿いを走ります。Cr

対岸は上松の町です。後ろ向きに撮影。Cs
まもなく鬼渕鉄橋。渡れば終点。
残念ながら電車の時刻が迫っているのでここで追跡終了。走るも走った40キロ。
なんだか鉄橋探しの旅になっていた。

Ct ボックスシートに腰掛けるが、混雑し始めてもなぜかなかなか自分の前に座ろうとしない。
どうやら「かなり臭い」らしい。自分でも感じるくらいなので相当かもしれない。

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2009年8月26日 (水)

森林鉄道の廃線跡を辿る 2

T2

Aa 川に沿う道路が廃線跡でしょうか。いずれその道を行きます。
いよいよ山に向かいます。その時、Ab
橋脚発見!こんな高いところを走っていたのですね。
さて、地図で見ると等高線が密集していますので決して無理をせず押して行くつもりで峠に入ります。
尾羽林あたりまでは走行するつもりです。
なかなか上り坂はきつい。ギヤを3/6段以上上げる事が出来ない。Ac
釜沼の先の橋で早々力尽きてしまった。自転車を押して歩く。
先は長い。
容赦なく照りつける太陽。しかし空気は冷たくさわやかだ。Ad
尾羽林を過ぎ、木陰で休憩をとって樽沢へ歩く。
聞こえてくるのは川のせせらぎと蝉の声と時折の野鳥のさえずりだけである。
きつい。レンタカーを借りればよかったか?何度も思った。ただ、どうしても自転車を使いたかった。Ae
麓からどれだけ時間がかかったろうか。時計はリュックの下に入っているのが取り出す気力はない。
樽沢を過ぎ、車が数台、自分を追い抜いてゆく。こんなところで道路工事をしている。Af
くれぐれも、
「好きでやっていることなので、哀れみで見ないでほしい。」Ag
気付けば随分標高を稼いでいる。Ah
ついにサミットに着く。約400メートル上ってきた。空気は冷たい。
自転車に乗って一気に坂を下る。とはいえあまりスピードを出しすぎて転倒やコースアウトなどしようものなら洒落にならないので断続ブレーキで安全運転に徹する。Ai
才児を通過。Aj
あっという間に焼笹に到着。約300メートル下った。
赤沢へ向かう。小川線の廃線跡の道路である。
思いのほかダラダラ坂で、かなりの負担である。
ギアも上げられず、交通量もあるので注意が必要である。Ak
スピードが出せないながら小中尾スイッチバックのすぐ先にこの橋脚を発見。
ここで渡っていたんだ。
何度か通ったことはあったが、この遺構を見たのは初めてであった。
つまり、ここから二股の橋を渡るまでは「黒沢支線」である。
Am この橋は黒沢支線の橋であった。Am2
ここで道路は対岸に渡るが、鉄道は先ほど橋を渡って直進して赤沢へ向かう。An
この先目的地までの距離がなかなか縮まず苛立つが、美しい景色に目を移せばすぐに落ち着く。
ひたすら走ってようやく赤沢に到着。
料金所がある。Ao

ここから先はご覧のとおりカネがかかる。
年配の管理人に一言

「自転車はいくらですか。」
この質問をするためにやってきた。当然タダである。
二子持からたっぷり2時間半かかってしまった。

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2009年8月25日 (火)

森林鉄道の廃線跡を辿る 1

T1_3 唐突に木曽福島駅。
A王滝行きのバスが接続していたので乗車。
王滝川に沿って揺られる事40分。こんな山の中まで連れてかれた。B
料金は「200円ポッキリ」ですぜ、ダンナ。
さて、運転手氏に森林鉄道の保存を聞いてみたところ、松原公園とその先にもある。くわしくはバス停のすぐ先にある観光案内所に聞いてほしいとの事。
礼を言ってバスをおり、観光案内所(といっても役場の一部)のドアを開ける。
「すいません。」
「はい、何でしょう。」と女性が応対。しかし、「面倒臭いわね、何の用なのよ。」顔にはそう書いてあった。
バス運転手にきいた質問をすると、まったく同じ答えが返ってきた。
自転車を組み立て、とりあえず松原公園へ。
C 残念ながら当該車両はシャッターの中のため、うかがい知る事は出来ない。D
しかし、なんとも長閑な景色である。E
廃止されたバス停でさえもよい被写体だ。
先ほどの役所の近くを通り、バスが来た御岳湖南の道へ向かう。F
「田島」ここは林鉄の要所であった。いまは大きな製材所が建っている。G
驚く事に、機関庫が今なお残っていた。
御岳湖の湖畔を走る。H 起伏も少なく、自動車も少ないのでペダルも軽い。I
南へ分かれる何の変哲も無い林道。車だと見落としてしまいがちながら、
「瀬戸川線」である。J

少し入ってみる。
足元は悪いが、草色の機関車が運材台車を牽いてくる姿が容易に想像できる。
上松方向へ足を進める。橋を渡るので湖方向を覗くと・・・K
ホラ、あった。
しかし、よ~く見ると、下にももう一本。L つまり、
「上が瀬戸川線、下が王滝線」ということです。しかし、王滝線は廃線後30年、瀬戸川線にいたっては40年以上経っているはず。
枕木まで残っているとは大きな収穫であった。M
道路は高度を下げて崩越へ。林鉄のレベルまで下げました。N
少し走ればこの景色。
なんて素晴らしいでしょう。
O 牧尾ダムから先はどこを走っていたかはわかりません。大滝川の南側を走っていたはずですが。P
二子持のドライブインにて休憩。タオルを濡らして首に巻く。Q
少し行けば、西野川線の橋脚が残っておりました。
ここからは交通量も多く、下り坂の為スピードが出やすいので走行には気をつけなければいけません。R
橋渡という場所で川の南側に渡ります。ここから峠越えに向かいます。

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2009年8月19日 (水)

鳥居峠を歩く 3

峠越えましたので薮原へ向かいます。
1 景色が変わって南側が開けました。2
鐘を鳴らして山道を歩きます。しばらく平坦です。3
途中に峠の由来でしょうか、鳥居があります。そこを過ぎれば急な下り坂にさしかかります。4
ちょっと身を屈んで駆け足で通り過ぎました。5
薮原の町並みが見えました。
足元がやわらかいので負担がかかりにくい山道です。6
7 年配の女性グループと交換。
登り始めてすぐ5人家族とにすれ違って以来、久々に人と出会えました。
「鳥居の下あたりで大きなハチに追い回されましたので気をつけてください。」
と伝えておいた。こんなところで刺されたら発見されるまでに危険な状況になってしまう。
8 またつづら折りに坂道を下る。9 ほどなく旧国道とクロスし、石畳の道になる。
急に足に負担がかかる。10 リュックの中には2日分の着替えなど死重が詰まっている。11
そしてその旧国道と合流すれば舗装道路になる。12
林を潜り抜ければ視界が開けます。13
大きな道路に出て振り返ります。なんだか宮崎映画のクライマックスみたいな気持ちになりました。14
ここにも水が沸いています。この水はやがて太平洋へと流れます。

線路を越えて薮原宿に続きます。15
ちょっと寄り道。このガードレールのつづく道はかつての「小木曽森林鉄道」の廃線跡と思われます。
16 反対側には製材所があるので意味深です。
薮原宿は奈良井宿ほど徹底されてませんが、趣はあります。17
ここは櫛が名産品ですね。
18 やがて薮原駅。
冬は寒いんだろうね。

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2009年8月18日 (火)

鳥居峠を歩く 2

さて、峠越えに参ります。
3024 宿場も神社までには終わり、山道へと変わります。3026
右側の階段を上ればすぐに山道になります。3027
3028 しかし迂回されてきた先ほどの舗装道路に合流。3029
しばらく歩けばまた右に折れる道があります。3030
これです。
しばらくは石畳でもあり歩きやすいです。3032_2
木橋などを渡り、ちょっとした山道 になります。3033
慌てずに、しっかり足を踏みしめて登ってゆきましょう。 3039
この辺りになれば国道の車の音も聞こえなくなってきます。しかし、宿場町の方からスピーカーで
「幸福○○党!幸福○○党!」という街宣車の音だけは残念ながら聞き取れた。3042
坂道がきつくなってきました。つづら折りに山道を登ります。3044
電柱が見えてきましたらもうすぐです。芝生の上を歩いているみたいです。3050
ようやく旧国道に合流。3051

とはいっても車一台やっと通れる幅です。3052
まもなく休憩小屋があります。3053

水分を補給。水筒または空のペットボトル持参しておくとよいでしょう。
ここの水はやがて日本海へと注がれます。3056
切り通しになっている道を歩けば標高1197メートルの分水嶺。ちょうど水溜りの辺りです。

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2009年8月17日 (月)

鳥居峠を歩く 1

354 鳥居トンネルへスパートをかける「しなの」
鳥居峠は中仙道奈良井宿と薮原宿の間にある分水嶺。
峠越えの往還は手軽なハイキングコースとなっております。
「木曽を味わいたくば、まずここを歩け。」 ←勝手な思い込みです。気にしないで下さい。
3017 中央西線奈良井駅。
駅を下りれば宿場町が保存されています。古い時代にタイムスリップしたようです。 350
この宿場の町並みも1Km以上続いています。
もったいなですがちょっと道をそれて線路沿いを歩けば、357
観光客の駐車場の一角にあるC12がどうみても「便所のランドマーク」として保存されています。3021
その横の細い道。3022
反対の奈良井方向。
この道はかつての「黒川森林鉄道」の廃線跡でしょう。
つまりこの狭い山間にいくつもの交通ルートがあったというわけです。

(旧国道)
 山 裾 | 宿場町 | JR | 林鉄 | 奈良井川 | 19号 | 山 裾

時代はバラバラの為すべてが同時に出揃うことはありませんでしたが。
こうしてみると、何も古い町並みだけでなく交通に関しても興味深い町であるということですね。

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2009年8月14日 (金)

阿佐ヶ谷七夕2009

8月9日まで行われていた七夕祭り。
今年はどんな飾り付けがあるのか見てまいりました。
393 入り口。幸福にしたい人たちが演説をしておりましたのでのぼりと一緒に撮影。395
おなじみのキャラクターのほかに
399 アメリカ大統領や、2996
しまじろうもいます。
で、気になる食べ物店発見。407
パスタのパエリアです。408
これで700円。お祭り価格でした。
大きな鍋は客の呼び込みにはもってこいかも。

焼きそばにしとけばよかった。

ついでに411
あまりにもしつこい か た つ む り 不動産のDMチラシ。
数年でここまで集めました。まとめて営業所にお返ししておきました。

さらにおまけ。

3223 ダンボールを片付けていたら出てきました。オレンジカードは処分してしまったのはちょっと後悔です。

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2009年6月29日 (月)

赤沢・木曽谷の森林鉄道

Img_0010 寝覚めの床 2003年撮影。
松本からちょっと足を伸ばして中央西線・上松へ。
大雨。われわれの普段の行いがよほど良いらしい。
2805 上松宿。こじんまりとした佇まいです。
すぐそばには鬼淵鉄橋。Onibuti これは森林鉄道で使われておりました。Bus
赤沢までバス。
初体験。森林鉄道の乗車です。Rintetu
Taki 雨であるがしっとりした雰囲気になりました。Taki2
Rintetu2 マイナスイオンをたっぷり吸収できましたね。

Gohei 五平餅で腹を満たします。

くどい様だが残念ながら雨である。晴れていれば同行したともぞう氏の反対を押し切って上松まで廃線跡を辿ったりあるいは大桑まで山越えのハイキングゃウォーキングを楽しむつもりだった。
Hiking 今回はこの顔でガマン・ガマン。

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2009年4月28日 (火)

ネットカフェ宿泊体験

「ネットカフェ難民」という言葉が社会を騒がせて久しいが、季節もよく夜行列車の撮影もしたいのでチャレンジしてみました。
この歳になれば体も鍛えているし強盗に襲われる心配もあまりないでしょう。
数年前に似た様な理由(貨物電車の撮影)の為体験はしてあります。いざ。
Nisikoku 西国分寺駅。このまま引き返して帰宅すれば暖かい風呂と完璧なプライベートルームで眠れるのですが。
後ろ髪引かれる思いで乗車。Urawa
武蔵浦和で埼京線。
大宮で高崎線に乗車し熊谷で下車。Kumagaya

22時台なのでまだ上りはあります。Kaisatumae
改札、ここで引き返せばまだ帰宅できますがしかし結局。Kaisatuout
抜けました。後悔ぎみに振り返ります。
秩父鉄道の改札口へ。Kaisatutitibu 最終の案内が掲げられています。Titibu
まさかこんな形で秩父鉄道を使うとは思いませんでした。Kansaicolor
ちなみに羽生行きの最終はまたまた出会った関西色です。Isiwarast
石原駅で下車。他に若い男3人と年配男性、夫婦1組が下りて、消えてゆきました。
裏道を歩いて住宅街に。袋小路になって後戻り。そのとき気付いた。もしここでお巡りさんに会ったら間違いなく不審者になり、警察でお泊りするだろう。
気をつけなければいけないのは「怖い人」ではなく「警察」だった。
Fumikiri というわけでしばらく広い道を歩きます。Kokudou_2 
国道17号に出ます。Kousaten
次の信号でやむなく裏道へ。怪しまれない程度に「やや下向き、ちょっと早足」で目的地へ。Netcafe
今夜のお宿。日付がかわりました。
四方を囲まれたこぎれいな1畳弱の空間にパソコンとチェアがあります。当然アダルトサイトも見放題ですがそれどころか「検索する」気力が無いので鉄道情報掲示板(2ちゃんねる)を見て終了。
リクライニングしない椅子と消えない照明、隣人の咳が気になる。ある意味夜行鈍行に乗った気分である。
気付けば2時、トイレのついでに毛布を借りる。静だと思ったらほとんどの人は帰った様だ。先程の毛布を床に敷いて横になる。このほうが寝られそうだ。
照明と時折する物音とBGMで度々目覚める。このBGMがクセモノだ。なにぶん中途半端に聞いた事があるからその度に脳が活性化される。むしろ数式の放送でもかけてくれればよく眠れるのに。
気付けば3時50分。コーヒーを飲んで準備を整え、4時20分チェックアウト。

Chekout月が綺麗です。 Asa4ji
白々と明るくなってきました。Genti
15分ほどで撮影場所。
こういった場所で「まれに」夜を明かすのは可能だが、生活する程の生命力は持っていないようだった。
ま た や っ て み よ う 。
          ∩_ 
         〈〈〈 ヽ
         〈⊃  }
    ∩___∩  |   |
   | ノ    ヽ !   !
  / ●   ● |  /
  |   ( _●_)  ミ/ <こいつ最高にアホ
 彡、   |∪|  /
/ __  ヽノ /
(___)   /

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2009年3月16日 (月)

西府駅 開業

2551 3月14日に南武線 分倍河原と谷保の間に開業した西府駅。
当日はあいにくの雨だったが、午後から天気が回復したので出かけてみました。2549
記念式典や記念品販売などが行われております。2554
地元でおなじみ府中囃子や神輿、大太鼓なども出てお祭り気分を盛り上げてます。
もともと畑だった場所なので駅の周辺にはまだこれといったものはありません。
車利用者の電車へのシフトで周辺道路の混雑緩和にどれだけ貢献できるか期待したいです。
戦前まで本宿駅があった場所だったそうです。

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2009年2月13日 (金)

古地図から廃線跡を追う・下河原

散々既出の地図ですが、開いて真っ先に目が行く部分があります。
2502 この部分です。
今回は総力を結集(とはいっても2/1、7日の2日間ですが)して廃線跡を追いかけてみます。
スタート地点(A)。2480a

下河原駅から少し北府中に戻った付近です。この場所でトロッコから国鉄貨車に砂利を載せかえていたのでしょう。
少し前までダンプカーの駐車場でした。なんとなく現役時代の名残が残っています。2476b
東へ向かいます(B)。線路跡と思われる場所は現在、建物が建っています。その先は郷土の森です。遊歩道となった下河原線は左へと分岐します。
200円払って郷土の森へ(C)。2483c

先程のつづき。
地図を頼れば園内の東西にまたがる歩道が廃線跡とされるのでそのまま東へ歩きます。
近所に交通公園があるとはいえ、できればトロッコのレプリカでも作って地元産業遺産として遊歩道沿いに展示して欲しいものです。
緩やかな坂道とカーブがあります。2503d 書籍の写真はこの場所で撮影されたのでしょうか(D)。
地図上のスイッチバック部分は砂利の選別、砕石場所と想像つきます。2504e
当然ながら、子供たちが無邪気に遊ぶこの広場に面影は残っていません(E、F)。2505f
園外へ出て東端の部分(G)。2510g

堤防のサイクリングロードに程近い場所です。
面影なく地図が頼りなくなってきました。しかし、この部分(H)!2478h

写真ではわかりにくいですが川に向かって下り勾配になっています。
堤防はのちに嵩上げされているでしょうからそれを考えてでもここで間違いないでしょう。
そういえば堤防と平行する道路、この付近、ちょうど急カーブの部分だけ開通が遅くなっていたのも(とはいえ80年代初頭)なにかいわれがあるのでしょうか。
反対側から(I)。2481i

ここで川を渡りますが、まさかこの獣道が廃線跡と気付く人はいまい。2482h_2
2508j 川の中州です(J、K)。2509k 高度経済成長期までこの一帯で砂利を採取していたのでしょう。河川が氾濫した時はどうしたものでしょうか。
トロッコを始めとするナローゲージに魅力を感てしまった。

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2009年2月 5日 (木)

捨てられないもの→家宝

先日、下河原線の引込み線についてふれたその地図ですが、西武多摩川線の競艇場前駅からも東へと伸びる線路が記されているので辿ってみました。
2498tizu その前に、是政駅の手前。2497korem

記憶のため多少のズレはありますが写真に示すとおり、かつて(20年くらい前)図のような線路がアスファルトの下に眠ってました。
線路の先は西武運輸なので荷扱いをしていたのかと思いきや、RM書籍(トワイライトゾーンマニュアル)でまさに砂利積み込み線の跡であることがわかりました。

さて本題。競艇場前駅ですが、いつの間に交換ができなくなっていました。当初からの北側ホームを廃し側線跡に設置された南側ホームのみを使用しています。
その東側から右に分岐する道路が廃線跡です(A)。2491wakare
道路の右側に細長く続く敷地は現在競艇場の駐車場となっています。2494chuusya

何か設備の跡だったのでしょうか。
ほどなく終端部(B)。2492syuuutenn

地図上はここで線路が途絶えています。
その先は公園(C)。2493

この遊歩道も20年以上変化はありませんが、この先は浄水場に突き当たります。
610mm軌間の線路があったはずですが、この場所にはたして線路はあったのでしょうか。その軌道はいったいどこまで続いていたのでしょうか。

生き証人に聞きたいです。23_20a
近江鉄道ED311(整備前)。2002年1月許可を得て撮影。3
北陸鉄道ホム1。2004年5月敷地外から撮影。こちらもルーツは多摩川線と噂されています。

相手が鉄道車両だけに残念ながら話を聞く事は出来ませんでした。

参考文献:トワイライトゾーンマニュアルIV

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2009年1月28日 (水)

捨てられないもの

人から見ればゴミにしか見えないものでも、その人の思い出の詰まったものはなかなか捨てられないものである。
そういったものばかりでなく資料的な価値のありそうなものも捨てられない。
どこからともなく(たぶん押入れの奥)から発掘された地図。すでに色も黄ばんで折り目も破れていた。
正式な発行日などは書かれていなかったが、付録などから察するに20年近く眠り続けていたのだろう。

地図はその後本棚に仲間入りして更に20年以上経過した。
2467 その一部を紹介します。

一番目を引いた部分は多摩川の砂利採取の線路がしっかり描かれているところです。
今回は下河原駅から南に伸びる線路跡をトレースします。Aa 本音を言えば正確な線路配置図がほしいです。Photo
郷土資料からを頼りに察すればDD13が無蓋貨車を推進で押し込んでいたのでしょうか。2465
下河原駅跡。現在は施設の建物が建っていますが90年代前半くらいまで空き地でした(A)。2463hikikomi
施設の南の道路は線路跡に沿って斜めに合流しています(B)。
2462kanaami コンクリート工場の金網も道路に平行せず設置されています。線路に沿ってでしょうか(C)。だとすると樹木の辺りが線路跡になります。
2460syuuten 終点部。堤防の上から撮りました(D)。ここで地図上の太線、トロッコが堤防を乗り越して川までのびています。2461bard
川を見る。かつて砂利採取場は現在バードウォッチングのスポットです(E)。地図を信じればこの足元から川へ向けて線路があった事自体考えられない風景です。

そうだよな。初めて来た時に左下のX型の杭に腰を下ろして人間関係で悩んでいたのが高校時代だったから、それでも22年経っているんだ!そうだ、その時は郷土の森は建設中だった。

そして西(オリエンタル多摩工場)に伸びる怪しげなトロッコの線路はその後大規模な造成工事が行われ、大きな建物が建った現在は全くわかりません。
この地図はまだまだ可能性が秘めておりますのでまた更新させていただきます。

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2009年1月22日 (木)

外川駅から犬吠埼まで歩く

個人的にお気に入りの散歩道がありますのでご紹介します。
2420 唐突に銚子電鉄外川駅。
犬吠にむかい線路に沿って歩き、右折して踏切を渡ります。2421
(海が見えてきました)坂を下れば海岸に出ます。ここまで約5分。205
砂浜を歩きます。舗装道路より足に負担が少なく気持ちいいです。貝殻もたくさん落ちています。
やがてテトラポットが見えてきました。堤防に這い上がります(第一の難関)。今回はジャンパーのポケットを引っ掛けて破いてしまいましたorz。
2422 上った後の風景。上る前の写真を撮りそびれましたが、もう戻りたくはありません。
2424 上を歩けば遊歩道に合流。2425
ホテルの駐車場を抜け、トンネルに入ります。2426
トンネルを抜ければ、波を被るスポットに出ます。2428 足元がかなり滑るので注意です(第二の難関)。2429
海岸線を歩いて階段を上れば灯台に到着。
刺激のある良い運動です。

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2009年1月14日 (水)

川の立体交差

立川市の北部に東西に流れる「玉川上水」と、南北に流れる「残堀川」がいったいどのように交差しているか見に行ってみた。Tizu2
流れを止めない為に橋を架けるという場所は存在するが、ここは何れも平面上である。
さて、どうなっているか。105 地図を見ると玉川上水が残堀川をくぐっています。108
玉川上水の西側(上流)から。ちょうど格子状になっている場所で地下に潜ります。白い小屋のすぐ後ろは残堀川です。107tamajouhigasi
玉川上水の東側(下流)から。青いシートの下あたりから水が湧き出ています。
横を走る道路、川と平行して橋が架けられているのでちょっと不思議な光景です。106zanboriminami
残堀川の南から。この日は流れていませんが、白い橋のすぐ向こうの下に玉川上水が流れています。
ポンプで汲み上げられているのか?と最初は思ったものの、どうもそうではなくかつて理科で習ったとおり重力及び水の力で作用されているのでしょう。

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2008年12月15日 (月)

三億円事件から40年

世間を騒がせた三億円事件から40年が経過した。「三億円事件を追う」といったタイトルを書きたかったが袈裟なのでやめといた。
犯人たちのアジトと噂された府中団地にも住んでいた。当時成人であいれば間違いなく警察からお呼びがかかったであろう。
マスメディアからの媒体等を参考にして、現金輸送車と犯人の経路を辿ってみよう。
まず、国分寺駅北口日本信託銀行前。トランクに現金を入れたセドリックは交差点を左折し、中央線のガードに向かう。 2388
少し前を犯人の乗るカローラが先行する。2389
ガードをくぐって直進し坂を下る。当時からの建物が残る。2390
野川を渡って道なりに南下。府中方面へ2台の車は走る。
栄町交差点。2391 まだ東八道路はなかった。先行するカローラは右斜め前の側道へ、後ろを走るセドリックは直進。2392
この付近で犯人はカローラをから偽白バイに乗り換える。現在は住宅地だが当時は空き地だった。たしか70年代中旬くらいまで空き地だったと記憶しています。
この道を偽白バイは学園通りへ向かいます。現在は一方通行の逆走になります。2393
明星学園交差点。ここで現金輸送車は右折し学園通りへ出ます。2394
最初の信号で右方向から偽白バイが現金輸送車を待ち構え、後を追います。2397
おなじみの場所。ここで事件はおきました。現在「塀」も建て直され、監視小屋もなくなりました。
人を傷つけることなく現金輸送車を強奪した犯人は次の交差点で右折、府中街道を恋ヶ窪方向へ車を走らせます。2400 当時西国分寺はまだありませんでした。2401
現在のデニーズのある交差点でしょうか、右折して路地へと入ってゆきます。2402
まもなく左折。この道でしょうか。2403
さらに右左折を繰り返し、国分寺跡地に着きます。2404
2405 この場所に逃走用に用意した別のカローラに乗り換えて現金共に東へ向かいます。2407
狭い道を走り、突き当たり左折します。2409
すぐに右折します。2410
当時右側に駐在所のあった東元町の交差点を左折し、国分寺方向へ向かいます。
逃走車が小金井市内で発見されたのは、数ヶ月後のことだった。

事件がおきたその頃に学園通りも電話線が開通した。電柱に貼られた愛称が永らく「三億」であったが電柱の交換とともに現在は変更されている。2399
府中高校付近にも古い電柱が残っていたが、愛称が消えてしまっていた。2395

犯人(たち)は数多くの証拠品を残し、ここまで明確な逃走経路までさらけ出している。
警察は威信をかけた。
それでも犯人逮捕につながらなかったのは、あいまいな捜査や出鱈目なモンタージュ写真等が決定付ける上層部のお粗末としか言いようがない。
その後捜査がデジタル化されたとはいえ、桶川や栃木の事件などでもお判りとおりまだまだ頼りにしてはいけない存在かもしれない。

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2008年10月22日 (水)

富山から立川まで 2

たっぷり時間をかけて松本に到着。大糸線の混雑でかなり疲労しております。
1151 高尾行きにのりかえ。Takaoyuki

疲れていますのでこの行き先に里心が芽生えます。442m
さらに、「442M」が泣かせます。
同じボックスに座っていた父子に声をかけた。「糸魚川でヒスイを拾いに行ってました。」
急な会話に他の乗客はかなり驚いていたようだが(特に後ろの女子高生)実は南小谷からの大糸線でも同じボックスでした。
トレジャーハンティングの父子は下諏訪で下車した。話がかみ合わない部分もあったが、一人ぼっちになったボックスは少々寂しい。Photo
茅野停車中。ここから小淵沢まで意外と本数が少ない。Yatu
八ヶ岳が美しい。
小淵沢で下車。疲労度★★★★
215 これより「ホリデー快速」に乗車。快適である。Yuugata

日が暮れてきた。
Yoru1 笹子トンネルを過ぎれば外は真っ暗に。Yoru2
道路が渋滞しているのでちょっとした優越感が味わえる。Tachikawa
富山から11時間かけて立川に着きました。疲労度★★★

ちなみに、予算2万円に対し3千円ほどオーバーしてしまいましたとさ。

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2008年10月21日 (火)

富山から立川まで 1

Hotel 朝風呂と食事で体力つけ、ホテルを後にして富山駅。413kei
413系。4年ぶりの長い旅が始まります。
左側の車窓が良いです。Namerikawa
滑川で早速海が見えます。Kaigan Kaigan2
泊付近はすばらしい景色です。
トンネルを抜けて親不知。Oyasi1
美しい海岸線・・・ですか?
「この国には、まだまだ高速道路は足りません!!」
拳を上げて演説している先生方へ。本当にそうですか?Oyasi2
「この景色も、美しいと思えば美しいのです!だから!!もっと高速道路を作らなければいけません!!」
そうですか?
「ガソリンがなくなっても!高速道路は必要なのです!」
よくわかりません。
ついでに「地域の活性化に!新幹線も必要です!」だそうですね。
次の選挙が楽しみです。
Itoigawa 糸魚川着。疲労度★
Itomachi 雪国でしょうか。こういった造りの建物が多いです。
糸魚川から大糸線。Kiha

キハ52です。
ゆっくり山間部にむかいます。
Ooito1_2 景色が良い分、険しい山道です。Ooito2
脳内BGMは、「♪あい~を~、とめないで~、そこから~、にげないで~」
古いディーゼルカーには8ビートのアコースティックサウンドがよく合う。
1時間で南小谷着。Otari

松本行きに乗り換え。疲労度★★
それまでとは違い、列車は軽快に走ります。
景色は良いですが、混雑してきました。
白馬を過ぎた時点でもう立っている人もいました。Syanai1
こんなとき大町でもう1両増結できる便利な車輌が欲しいです。Hhazak  はざかけの最中です。初めて見ました。
穂高、豊科といった観光スポットに到着するごとに混雑します。4両編成が妥当です。Syanai2
朝ラッシュの混雑ぶりで糸魚川からどっぷり3時間以上かけて松本着。Matu 疲労度★★★★★
(つづく)

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2008年10月15日 (水)

鈍行で富山まで

お約束どおりドケチ旅行行ってきましたのでご報告します。
2154 新宿からムーンライト信州で白馬まで乗車。 2155
座席はこんな感じです。とりあえずは寝られそうです。2156
0時10分吉祥寺を通過。
八王子から満席です。
車内減光はありませんでした。2159
寝たかどうかわからないうちに唯一の停車時間のある塩尻で一服。
松本を過ぎて乗客が徐々に減って、白馬終着。2164
2166 ようやく夜が明けました。
寒い!セーターとウインドブレーカーを着込んでしのぎました。
後続の電車まで20分。ビオトープには行けそうにないので、駅横の足湯につかります。2167
南小谷へ向かいます。2168
2172 朝の南小谷駅。ここで疑惑の元社長が自ら命を絶った事を知りました。2269
糸魚川まではまだまだ現役のキハ52。2258
糸魚川駅。おなじみレンガの機関庫にはなぜかキハ58が入庫中。2178
糸魚川からこちらも現役419系「食パン電車」
とりあえず黒部で下車。2182 2183
電鉄黒部まで歩きます。
整然とした駅前通に歩行者がいないのは4年前来た時と同じ。2184
でもイヌはいます。おとなしかったです。
部分的に小走りして約15分で電鉄黒部駅。2185
駅員さんにこの切符を勧められて購入。2187
イヌつながりで「くろわん切符」500円で宇奈月温泉往復できます。2186
自分と同世代(のはず)の元京阪車に乗車し30分程で終着。
帰りは元レッドアローです。2192
2194 お?キハ52や食パン電車にもあった「センヌキ」がこの車輌にもあったとは。
惜しみながら黒部で下車。
2288 黒部から富山までは、国鉄色!
どうにか無事にたどり着きました。

おまけ。南小谷でこの自販機、使ったことある人います?2173

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2008年9月18日 (木)

夜行高速バス 仙台石巻行き

さて、先月の「ドリームササニシキ」で窮屈な思いをした理由、ではないのですが
今回は新宿の巨大カメラ電器店前から発車する仙台石巻行きに乗車。
2107 京王バスでした。
3列シートはとても助かります。B席でしたので中央です。2108
あ、またカーテン閉められた。
ほぼ満席の状況で23時40分発車。感覚から新宿インターから首都高に入った模様。
24時には消灯されました。

時折目が覚めたりまた寝たりの状況で、本格的に寝付いた頃、車内が明るくなり仙台到着のアナウンスが入りました。
時計は5時。早すぎます。
2110 しかし、乗客の大半は下車してしまい、残った数名で石巻に向かいます。2111
利府よりもう一度高速に乗りました。2112
石巻駅着。2113
事前情報無しに来たら、漁師町という予想ではなく、2114
「石ノ森章太郎ワールド」でした。
今回時間をとらなかったのは悔いが残りました。改めて行く価値はありそうです。2116
駅の中にもヒーロー・ヒロインが待っています。

ということは、あの悲しき悪役「ショッカー」もこの地の生まれなのですね。

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2008年9月 3日 (水)

学園都市線・札沼線

2053sa 何度も札幌に足を運んでいるくせにろくすっぽ乗ったことが無いので完乗してきました。
何気に使用車輌もバラエティ豊かで興味深いです。
八軒から先は複線です。081sinkawa
新川にて。ローカル線というイメージではではありませんね。
疲労のため熟睡。この揺れとジョイント音は眠気を誘います。
気がつけば単線になり、長い鉄橋(石狩川)を渡っています。004choko
その付近のチョコレート工場。
風景が広がってきたら石狩当別。 154toube
乗り継ぎ時間を利用して付近を散策。郊外の住宅地でした。 095isi3
石狩当別にて。

005toubetuローカル色豊かになります。2049pan
このあたりは1日3往復です。008isikari
札幌からトータル2時間半で新十津川に到着しました。007totugawa 小さな駅舎内には滝川までの道案内が書かれています。
「ココカラタキカワマデヤク3キロデス。アルキマスカ?YES=1 NO=3」
「サアガンバッテアルキマショウ。」
25年くらい前のマイコンゲーム(パソコンではない)「北海道4000キロ」の画面が頭をよぎる。
滝川に行っても特急使わなければいけないのでこのまま戻る事にしました。097totu

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2008年8月29日 (金)

盛岡から札幌まで 3

食事も終わればバスまで自由時間。
路面電車でもバルブ撮影をしましょう。
066 いやはや、むずかしいです。
風呂に入りたくなった。谷地頭温泉に行けばよいのだがこの時間に「行き当たりばったり」はリスクを伴うので断念して市内の銭湯を探す。
まずバス案内所で聞いた。「駅前のそこの道を五稜郭のほうへいくとあります。10分くらいかな。」教えられたとおり歩いてみた。
休みだった。あきらめて待合所に。バスのチケットがなくなっていた。
聞くと、再発行は可能であるとのこと。しかしあまりにも情けない。
気を取り直して駅の電話帳で別の風呂屋の住所を探し、地図で位置を確認して別の風呂屋へ。夜であり初めてながら迷わず15分ほどで着いた。
休みだった。
もう一度駅へ戻りかつて利用した風呂屋を尋ねてみた。松風町の先だったので10分くらい歩いた。
廃業していた。
荷物が重い。天然温泉のホテルがあるので風呂だけ入れてもらおうとフロントに、その前に時間の確認。
男女入替制で男は23時から。これではダメだ。
松風町の交差点に見慣れた封筒が落ちていた。まさしく落としたチケットだった。
こんな繁華街に1時間も落としっぱなしで無事だったのはさすが函館。妙な安堵感が疲れを誘う。151
時間通りバスは来た。道南バスであった。
3列シートは快適で、発車と同時に寝てしまった。
「大谷地」のアナウンスで目が覚めた。札幌市内に入っていた。006
時計台を通り、午前5時半、時間通り札幌に到着。

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2008年8月27日 (水)

盛岡から札幌まで 2(ナッチャンRera)

048 ナッチャンRera。いよいよ津軽海峡を渡る。
青森と函館を海で渡るのはこの時以来。Img_0033
函館を出港する摩周丸から空知丸を撮影。141
ひとまずバスで青森港へ。ここは別途支払い。
青森港高速フェリーターミナル。002
明るく清潔なロビーは空港と錯覚します。
乗船して指定された席に座ると疲労のためかすぐに寝てしまいました。
気づけば青森を出港していました。
最新のフェリーは清潔で揺れも少なく、とにかく速いです。
所要時間も青函連絡船の半分ぐらいで時代の進歩を感じます。
しかし、あの独特の侘しさもなくなってしまいました。
船内を子供たちが走り回ります。やかましいですがずっと車の中に閉じ込められた身分でしょうから我慢します。057
下北半島の先端が見えます。
ここからは公海でしたか。なぜか携帯メールがバンバン入ってきました。
普段ほとんど稼動していない携帯がこんなところでフル回転。不思議なものです。058
まもなく青森行きとすれ違い。波をうけてロールします。149
乗船時間が夕方でしたので「海に沈む夕陽」を期待したのですが雲がかかってしまいました。
2時間ほどで函館港に着きました。海峡線特急とあまり時間変わらないですね。009
バスに乗り駅へと向かいます。

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2008年8月22日 (金)

盛岡から札幌まで 1

仙台から盛岡までは18切符での鈍行の旅。
しかし全ての区間でロングシートとはいかがなものか。

出かける前、ここで面白いチケットが発売しているので電話で予約しておいた。
そうです。バス+フェリー+バスで札幌まで行きます。
2050 盛岡駅バスチケット売り場にて購入。
弘南バスは満席で黄昏時の盛岡を後にした。
高速に乗ればやがて日も暮れ、交通量の少ない夜道をひた走る。
インターの案内板がなければどこを走っているのかわからない。
トイレがついていないので途中花輪でトイレ休憩があった。
闇夜をひた走る事2時間半、明るい町並が近づいた頃、青森に到着しました。2051

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2008年8月19日 (火)

阿佐ヶ谷七夕

「阿佐ヶ谷」でよろしかったですか。132

鮮度の高いネタですのであっという間に古くなってしいましたが、8月10日見てきました。

見事な飾りです。
134 今年上半期の流行りは、やはりこのキャラですね。135
キティちゃんまで真似しています。145
吊るされたスピードレ・・・もといマッハGO。
「か~ぜ~も~、ふ~るえ~るヘアピンカ~ブ」
ハンドルのボタン操作を誤って着地に失敗しました。クリ坊は無事でしょうか。136
おぉ~、201系までも吊るされています。
どれも力作揃いです。138

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2008年5月 1日 (木)

府中刑務所の西門 開く

東京都府中市といえば、何を連想するか。調査はしていませんがだいたい下のとおりでしょう。
①東京競馬場
 G1レースが行われる競馬場として有名。毎年5月末には日本ダービーも開催され、多くの観客でにぎわいます。(ちょっと宣伝)
②大国魂神社
 府中中心の歴史ある神社。5月5日夜から6日にかけての「くらやみ祭り」は有名。(こちらもちょっと宣伝)
その次が、府中刑務所でしょう。
北府中駅のすこし北側の府中街道・学園通り沿いに刑務所はあります。
塀は高く、ものものしいので87年頃には絵が描かれ少し和らいだ風景になりました。
1520実際中で勤めた事はありませんが、幼少の頃からいろいろとお付き合いのある場所でした。

そんな刑務所の塀が府中街道に沿って続いていますが、1箇所ある門が少し南をむいております。1521
古い地図を見ますと、北府中駅から四方に数多くの引込み線が出ておりました。
そのうち北東に向かう1本が府中街道を乗り越しこの場所で刑務所へ入っております。
この門が街道に対して垂直に向いていないのが納得ゆきました。

さて、何故刑務所に線路が?今も残っているのか?謎は深まりました。相変わらず門は固く閉ざされています。
そのうち「戦後まもない頃、クモニ13の鋼体化改造が所内で行われました。」と何処かに書いてありましたので、
この引込み線が使われたものと思われます。

さて、いつも通り塀沿いを走ると、門が開いてダンプが出入りしています。
守衛さんに聞くと、中の建物の取り壊しを行っているのでここを使っているそうです。
1452

 

 

 

 

 

 

 

 

 

断って記念に1枚。桜がきれいです。さすがに線路は残ってませんでしたね。

この塀も建て替えが進行しており、すぐそばまで取り壊されております。この門も時間の問題でしょう。

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2008年4月14日 (月)

野川の源流 ご開帳

国分寺から崖線に沿って流れる野川。流れは二子玉川で多摩川に合流する。
ほとんどの地域で川に沿って道路があり、徒歩や自転車で流れに沿うことができ、しかも川にもアクセスしやすい。
その源流は国分寺の日立研究所内にあり、残念ながら普段は見ることは出来ない。
Photo 昨日は公開日とあって、折角なので足を運んでみた。
Photo_2 入ってすぐ雑木林に囲まれ、家から徒歩で来たはずなのにまるで別世界であった。
研究所の脇を歩き、坂を下りれば池があります。ここが源流の池です。Photo_3
桜が咲き、鳥たちが囀っています。Photo_4

Photo_5 写真の中央部から野川が始まります。ただ近くを電車が通るのですぐ側には現実があります。
ここで日立がこの土地を大手不動産に売り払ったその後を勝手にネガティブ妄想。
「国分寺に巨大複合型マンション、完成。○○○(←ドイツ語かフランス語)国分寺の森」
「全200戸、2駅利用可。第1期完売。第2期募集開始」
でもってここの木を全て切り倒して(武蔵小金井のリ○ルートマンション建設時に重機が木を切り倒している姿を確認)
巨大マンションが立ち並び、子供たちが入らぬよう(溺れたり怪我したら親が大騒ぎ)コンクリートと金網で整備された池と人工的な芝生。

妄想は数秒で勘弁させていただいた。
Photo_6 薄暗い場所で水が沸いています。Photo_7

たけのこも盗難防止?で網がまかれていました。

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2008年2月 6日 (水)

都電荒川線車窓から その2

先週向原で下りてそのままでしたのでリベンジかけました。
向原を出て、すぐに東池袋四丁目。有楽町線に接続しています。Higasiikebukuro
サンシャインを通って池袋までもじゅうぶん歩けます。
南へ進路を変えます。Kouji
雑司が谷付近。ご想像のとおり工事たけなわです。
神田川を渡って西に向かいます。Hasi
終点早稲田。Waseda

東西線の駅までは距離があります。

1259 夕暮れ時、馬場まで歩きました。面影橋付近で撮影。

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2008年1月31日 (木)

都電荒川線 車窓から その1? 

都電荒川線に久しぶりに乗車してまいりました。
Minowa_2 始発の三ノ輪橋停留所。子供が吊られております。
Jouhoku_2 城北信金ラッピング車です。
Hassya_2 最後部のスペースに立ち、発車しました。 Syasou
ながれ行く風景を楽しみます。
Machiya 電車は町屋に到着。たくさんの人が乗ってきました。この駅周辺はお好み焼き屋が多いと聞いた事があります。
Kumanomae 大きな道路をくぐれば熊野前。
Heiyou ここから併用軌道、と言いたいところでしたが専用軌道になっていました。
その名残が随所に残ります。
Heiyouend 併用軌道が終わってすぐに荒川遊園前。Yuuen2
Yuuen1 親子連れが大挙して乗り込み遊園地のアトラクションになってしまいました。
次が荒川車庫。PCCカーや学園号など名車が保存されています。Syako
あれ?何だ左端(枠内)のこの車!と編集中に気づきました。アップで。
Kuruma どうやら型式不明の古い「ライトバン」です。Kaabu
撮るのしくじりましたが車庫に入るこのカーブ、たまりませんね。Ouji
そうしているうちに新幹線のガードの下へ。王子駅前です。Oujihatu
次の飛鳥山までは併用軌道。車と一緒に走ります。Asuka
4月になれば桜が咲いて綺麗でしょう。
Sinsya 飛鳥山停留所。新型車とすれ違いました。
電車はのんびり走って大塚駅に到着。Ootuka でも王子からはJR乗り換えより速いかもしれません。
Ootukadetatoko 駅前広場を巻き込むように電車は走ります。
Last_2 急な坂道を登りきった向原でなぜか下車してしまいました。
なんだか尻切れになり後味の残る旅になってしまいました。
Omake というわけでオマケ。

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2008年1月17日 (木)

都営バス・西武柳沢発青梅行き

1_2 都営バスで最も長い営業路線である。暇な正月休みに西武柳沢より乗車してみました。
2_3 西武柳沢にて乗車前のショット。
運転席横の進行方向左側の席に座り、車窓を楽しみましょう。
ここでお約束、というより自主規制。
自分の席のすぐ横はドライバーである。運転の妨げをしない為にも、
①ドライバー、乗客には絶対にカメラを向けない。
②シャッター音も運転に影響を及ぼす恐れがあるのでなるべく信号停車中に撮影をする。
車窓撮影もだいぶ抑制されますが、仕方ありません。
7~8人の乗客を乗せてバスは発車。
Photo_8 すぐに新青梅街道に出ます。
2_4 西武新宿線のガードをくぐります。
田無五差路右折し、青梅街道を走ります。右に田無神社が見えてきます。
Photo_9 田無市街を走ります。
市街を抜けて右に揚州商人、田無タワーが見えます。
1160_2 もち吉のある花小金井。右に武蔵野神社を見れば西武新宿線の踏切を渡ります。1161_2
こんどは青梅街道駅の踏切を渡ります。1163_2
新小平駅前。発車から30分経過。
西武国分寺線の踏切を渡れば少しずつ雑木林が広がってきました。Photo_10

小平神明宮が右に見えます。
1166_2 東大和駅を過ぎた頃です。ようやく半分くらいの道のりです。
遠くに多摩湖の雑木林を望めます。
1167_2 芋窪付近。発車から1時間です。すこし南に上北台駅があるはずです。
1169_2 瑞穂町に入りました。
Photo_11 八高線の踏切を渡ってしばらく走ると新青梅街道に合流します。1152_2

しばらくこの広い道路を走ります。
青梅に近づいた頃、旧青梅街道に入り、東青梅の踏切を渡れば市街地です。1168_2 レトロな看板が歓迎してくれます。
Photo_12 料金表。運賃がズラリとならんでいます。1172
青梅駅到着。1時間50分かかりました。ちょうど映画1回分の時間ですね。
バスは車庫に向かいます。料金は560円でした。11601

青梅駅から青梅の街を散策。11611 バスが通ってきた通りは古い建物が健在です。

11621

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2008年1月16日 (水)

国分寺・タツノコビル

あの「ヤッターマン」が放送された。
アニヲタではないが、幼少の頃お世話になっていた番組だけあって、一度は見てみたいものである。でも録画する機械が無い。
悪役の3人組があまりにも個性的であり、パターン化されたわかりやすいストーリーと相まって大好きであった。
その後「ゼンダマン」→「ヤットデタマン」→「イッパツマン」あたりまで連載を見続けていました。
その「タイムボカンシリーズ」の本社ビルが国分寺にありました。この看板が目印です。Photo
なんだかちょっとうれしくなります。

さて、話は変わって昨日は青梅五日市線青67編成が廃車の為長野へ回送された。
青梅五日市線の201系もだいぶ置き換わっているみたいです。O67
西立川に入線する青67編成。

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2007年9月11日 (火)

19時29分松本発

甲府行きのこの列車は何の特徴も無いごく普通の列車である。
ただその日のうちに普通列車で都内に戻れる最終列車であるので甲府行きであるがあえてタイトルに行先を入れませんでした。
列車は長野を18時4分に発車しております。かつての442Mは18時31分発ですので、その名残でしょうか。
442Mであれば、新宿まで乗り換えなしで帰れました。ただ明日の朝帰りになってしまいます。
松本にやってきた列車は諏訪湖花火大会があるため6両編成。普段は3両みたいです。
Photo 乗車。1人なのでロングシートに腰掛ける。席がだいたい埋まった頃発車。南松本、田沢・・各駅に停車していくうちに客が次々下りてゆく。
塩尻を出る頃には1人1ボックスになっている。岡谷を過ぎ、右側に諏訪湖が見える。道路が濡れているので雨の様だ。
湖から花火が上がる。一瞬空全体が明るくなる。花火が次々にあがる。車内では子供たちが歓声を上げる。
旅の疲れが癒される。下諏訪にて臨時の201系と交換。花火見物客で満員だ。
上諏訪へ。花火の輝きと音が車内にまで響く。上諏訪でたくさんの乗客が待ち受けていた。列車はかなりの混雑で発車。しかしその賑わいも束の間。
富士見辺りまででまた空いてしまった。富士見で後発のスーパーあずさをまつ。小淵沢を過ぎ、韮崎付近まで車窓もほとんど真っ暗。駅にひとつひとつ止まり、しかも車内も単調でさすがに苦痛でした。
やがて左側に夜景が見え、ちょっと安心しているうち21時31分甲府に滑り込んだ。
乗り換え時間の間にトイレを済ませる。車内にもトイレはついているが用便は落ち着いてやりたい。
Photo_2 (高尾に到着した時撮影)ロングシートに腰掛け、21時36分高尾に向けて発車。甲府を後にする。
車内は座席が半分埋まるくらい。予想以上に乗客が多い。
かつての442Mは甲府を1時10分に発車した。時計を3時間半遅らせて夜行列車気分を楽しむ。
塩山辺りで車内も落ち着いてくる。右側の夜景を楽しみ、勝沼駅へ。442Mはこの駅を通過していた。
いくつものトンネルを抜けて大月へ。しかし停車時間は短い。
律儀にひとつひとつ駅に止まってゆく。しかしここまで来ればなじみのある駅なのであまり苦痛ではない。少しづつ乗客が増えてゆく。駅到着のアナウンスは夜行でも行われていたのだろうか。
相模湖を過ぎ、小仏トンネルを抜け高尾にさしかかる。山を下りた妙な安堵感に包まれる。
高尾到着。時計を見ると2時半だ。戻すと23時ちょうど。442Mはこの駅を3時12分だったはず。
ここから最終ランナーは201系。若者たちや帰宅サラリーマンの姿が自分を現実へと引き戻す。
201 国分寺23時25分着。ここで下車。このまま新宿まで乗車しても23時51分。その日のうちに到着できます。

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2007年5月14日 (月)

浅草発会津田島行き

以前から気になっていた私鉄で二番目に長距離(190.7km)を走る東武鉄道の快速列車に乗車。ちなみに最長は近鉄の京都~賢島間(195.2km)の特急です。
1都4県を約3時間半かけて1日7往復走っています。
お目当ての列車は浅草午前6時20分発会津田島9時45分着。
Bunji まずこれに乗車、着座するため地元国分寺を午前4時47分初電から乗り継いで浅草に向かった。
Nakano 中野もまだこんな時間。GWだけに人影もまばら。
Asakusa 浅草6時前着。駅にも人は少ないです。Asakusa3
6時10分頃入線。車輌は6050系6両編成。80年代テイスト溢れるデザインで、親近感がわきます。そして4人掛けのボックスシートがならんだ車内はいささか貴重になりつつあります。Asakusa2
列車は定刻通り発車。Sumidagawa 隅田川を渡ります。いよいよ長い旅が始まり、気持ちが高揚します。
北千住で満席になり、立つ人もちらほら。春日部、東武動物公園で乗車する人も多く、かなりの混雑となりました。
Tonegawa 午前7時半頃利根川を渡ります。だいぶ景色が広くなりました。山桜やツツジが車窓に彩りを添えます。
Sinkanuma 午前8時新鹿沼付近。今市はもうすぐです。
Imaichi 午前8時14分下今市着。6両の前2両日光に向かうため切り離します。
下今市にはホームで駅弁の立ち売りがあると聞き楽しみにしていましたが、停車時間を利用して探しましたが残念ながらまだこの時間売っていませんでした。
午前8時18分下今市発。鬼怒川線に入ります。急カーブの連続でスピードが出ません。
Kinugawa_1午前8時40分鬼怒川温泉着。深い渓谷に所狭しとホテルが立ち並んでいます。
新藤原8時50分着。これより後ろ2両を切り離し野岩鉄道に入ります。
565 竜王峡、川治温泉を止まるごとにハイカーが下車してゆきました。
Photo_79トンネルと橋が続きます。
Aizukougen 会津高原付近までは桜が満開です。
午前9時14分会津高原尾瀬口着。ここから会津鉄道になり、20分ほどで会津田島に着きます。Tajima のどかな山里をリズミカルなジョイントで駆け抜けます。
Photo_80 午前9時45分会津田島終着。皆様お疲れさまでした。
ここから乗り換えれば1時間ほどで会津若松に着きます。
見知らぬもの同士が4人掛けのシートに向き合って目的地に向かってゆく。正直かなり窮屈で時代遅れといわれればそれまでかもしれないが、このまったりとした疲れも後になれば楽しい旅の思い出になる。こんな旅も悪くない。

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2007年4月 5日 (木)

久留里線 ぶらり花旅

天気の良い4月1日の日曜日、早起きして久留里線を旅してきた。
久留里線とは一体どんなものなのか。実は前から気になっていた。
前日に鹿島鉄道が廃止になり、「鉄な人」は燃え尽きて少ないであろう。しかも、桜が満開のためカメラ連中は小湊鉄道に向かったであろうと予測した。
京葉線から内房線に乗り継いで木更津着。都会ではないが、人も多くアクアラインもあるのでそれなりに活気があるようにも見えた。
残念ながら氣志團な人たちは出迎えてはくれなかったが、かわりに2両のディーゼルカー「キハ30」「キハ38」が待っていてくれた。
車体こそ塗り替えられているものの、かつて八高線を走っていたなつかしい車両たちである。
終点の上総亀山まで乗車することにした。
住宅地をぬけると、ひろがる長閑な風景。Photo_57桜や菜の花が車窓に彩を添える。Photo_63 ずっと久留里までのんびりした風景が続きました。
久留里を過ぎると、ちょっとした山道になります。旧型のディーゼルカーは一生懸命上ってゆきます。Photo_58 上りきったところが終点、上総亀山です。Photo_59
いかにもローカル線の終着駅といったこの駅は千葉県で最も標高の高い駅だそうです。菜の花が満開です。
Photo_60 駅から15分ほど歩いたところに亀山ダムがあります。Photo_61 ここで時間まで少し休憩します。弁当買ってくればよかった。
帰りは久留里で下車。城下町ですのでお城を見に行きます。急な坂道をひたすら登ってようやく復元の天守閣。Photo_62 クタクタになってしまった。
同じ坂道を駅まで帰る。帰りの方が辛くも楽しい。
久留里で昼食をとり、ひとまず休憩。
やがてやってきた列車に乗り、のんびりと木更津へ。そして帰路についた。
東京の近くにこんなにのんびりしたところがあったとは知らなかった。

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2007年1月24日 (水)

定点撮影 その2

昨日に引き続き、国分寺中央鉄道学園です。
今から20年前の昭和61年12月に撮影。
車両も入れ替わっていて、かつてキヤ92が止まっていた場所には101系中間車が置かれています。
Photo_5

学園内のジオラマの様な線路の先には複線の車庫があり、中をのぞくと・・EF60初期型、DD51試作2号機、101系が納められています。
貴重な車両たちをどうにか撮影しようにも、どうしても撮れない。車庫の外壁に僅かな隙間からカメラを向けると手前にフォークリフトが邪魔をしたり、
結局は扉の下の部分からカメラを突っ込んでの撮影でした。低い姿勢で下からカメラ覗き込んでいるので、人が見たら怪しい人そのものでしょう。
苦労した割には良い写真が撮れずプリントしないまま、結局ネガなくしてしまいました。その後何回か訪問しましたが、動いている姿を見たのは終了間際の1回きり。残念無念。
Photo_6

さて、現在の写真と対比すると奥に写っている社宅だけが現在残っています。撮影場所は現在2階建ての駐車場となり、比較的近い場所からの撮影となりました。

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2007年1月23日 (火)

定点撮影

昔の写真と現在の写真を対比して、ちょっとしたタイムスリップを楽しんでみようと思います。
国分寺にあった中央鉄道学園です。
1981年、小学生の頃にポケットカメラで撮影したもので、残っているただ一枚の写真です。つまり自分の最古のものです。このカメラは、西荻窪の模型店に寄贈いたしました。
当時住んでいた府中から府中街道を20インチの自転車こいでひたすら北へ、泉町交差点を超えてすぐ右側にブロック塀が続きます。
その塀の向こうが目的の学園です。塀沿いに走り、歩道がクランクになった壁越しに「キヤ92」が朽ち果てています。さらに少し北に行くと正門があります。
少し入って見渡すと、「クモヤ92」カバーをかけた「C56」がいます。この日たまたまクモヤ443が来ていましたので入り口付近から撮影。Photo_3  

 

もっと奥に入っていきたかったですが、「ガキの来る所じゃねぇ」雰囲気でしたので、あきらめて帰りました。 Photo_4 

 

現在は、道路が広がりこの場所に賃貸マンションが建っており場所を特定できません。古い地図を手掛かりにおおよその場所になっています。

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2006年12月25日 (月)

銚子電鉄ぶらり旅

24日、Photo_9 無理に早起きして電車乗り継いで犬吠埼へ。

 

  

外川で下車。もうお昼近くになっていた。
いったん海まで歩き、灯台に向って砂浜を歩く。冬の海もなかなかである。Photo_11

 

 

  

 

Photo_12 犬吠駅で名物「ぬれせん」を購入。なにかと話題の多いこの鉄道だが、金が無いのは事実。少しでも増収につながれ ば、との気持ちでした。

  

 

 

Photo_13 笠上黒生にて。既に現役を引退した小型車がひっそり止まっている。デハ101である。99年秋に来た時以来ずっと同じ場所に放置されている。
今日はクリスマスイブ。こんなものをわざわざ見に来た自分は変人である。

 

 

Photo_14 飯沼観音そばの観音駅にておなじみの鯛焼きである。名物では先の濡れ煎餅より先輩格であるが、持ち帰りしにくいのかあまり全国的には広がらなかった。
あんもしっかり入っていて、それほど甘くなくボリュームは1つでも十分満足である。

  

最後は銚子駅前で刺身定食で腹ごしらえ。Photo_15

 

 

 

 

拾った貝殻と硝子玉をお土産に。Photo_16

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