2007年10月 4日 (木)

常紋峠・挑戦2007

あれは中学生の頃だったか。まだ季刊だった鉄道ダイヤ情報をなけなしの小遣いで買った。
大きな写真ではなかったが、紅葉と留辺蘂の町並をバックに大カーブを走る貨物列車の俯瞰写真が掲載されていた。
いつかは行ってみたい場所であった。
2001年、クルマで付近を走った際、限られた時間で撮影場所を探したがどうしても辿り着くことが出来なかった。でも川に面した崖の上ではなかろうか、と目星をつけた。
さて今年、網走から鈍行で西留辺蘂に14時3分到着。後を特急と貨物が続いているので早めの行動をとる。まず国道39号に出て交差点を右折し242号を遠軽方向に歩く。ゆるやかな上り坂だが急いでいる時は負担になる。
橋を渡り、右手方向から線路が近づいてくる。国道と線路が並行する。線路の反対側の山の木々が伐採されているので、そこをよじ登ってゆく。植樹されているので傷つけず気をつける。
多分ここであろう。どうにか間に合いました。枝の隙間からレンズを構えます。
Photo 上りオホーツク。網走で一緒に行動したove250氏が乗車していました。
Dd51 そして貨物列車。ゆっくりと走り去りました。
この場所も紅葉の季節を迎えるでしょう。

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2007年9月29日 (土)

常紋峠・挑戦2004

夏が近づくとどうしてもこの場所に足を運びたくなる。これもこの地で眠る先人からのお誘いであろうか。
前年の運休の悔しさもあり、8月末に少し休みを取って朝一の飛行機で女満別に降り立つ。バスを乗り継ぎ北見へ。
いつものスーパーで弁当を買い、いつもより一本早い列車で現地へ。留辺蘂で下車。ここの公園で急いで食事を済ませ、下り貨物の撮影をする。
その後、いつもの金華行きに乗り込み終点金華へ。他に乗客はいなかった。
早速イヌたちの歓迎を受ける。砂利道を峠に向かって歩けば一頭のポニー君が。人懐っこくとても優しい目をしている。短い時間遊んでしまった。
Fh000003 別れは惜しいが、峠に向かう。ずっと自分の後ろ姿を見ている。辛いので勘弁して欲しい。
国道を右に折れ砂利道を歩く。3回目となれば通いなれた道。タオルを頭に巻いて耳を覆えば虫もうるさくない。リュックには熊避けの鈴が鳴り響く。
途中の倒れかけたカーブミラーもそのままだ。歩き続けると少しずつ上り坂の辛さを感じる。並行する同じ坂道をDD51が重い貨物を引いている。頑張らねば。
やがて左右に分かれる。いつもなら右に曲がってそこでカメラを構えるのだが、今日はそのまま山道を歩く。ここから先は初めてである。森が深くなり、足元がぬかるんできた。
右側の視界が開けてきた。そこに向かって進む。構築物が見えてきた。ついに信号所に辿り着いた。廃止になった線路に腰を下ろし休憩する。じっとりしていた汗がスーッとひく。
三脚と望遠レンズをセット。何本かの列車を見届ける。以前とダイヤは余り変わらないがどの列車もエンジン全開で向かってくる。
午後3時。轟音を響き渡らせながらゆっくりと重連の貨物列車が通過する。シャッターを押し、機関士と挨拶を交わし列車を見送る。Fh000006 機材を仕舞い下山する。夕暮れ時である。山は日の入りが早いので急がねば。
その後、多分バスに乗って生田原に向かった。
左足の裏が痛い。前の日歩いた時痛めたか。
翌朝生田原で自転車を借り、峠に向かう。交通量のきわめて少ない道は気持ちいいが、だらだら上り坂は徐々にひざを重くする。
釣堀付近よりダート道に入る。パンクしてはいけないので慎重にペダルをこいでゆく。じっとり汗が出てくる。踏切の手前でライダー氏と出会い、自分もそこで撮影する事にした。
彼は自転車で来た自分にまず驚き、ここの貨物列車はどんなものかと尋ねられる。現物見て欲しいから時速15キロくらいでゆっくり通過しますとだけ答えた。
列車の通過時刻が近づいてきた。まもなく静寂を破ってゆっくりと貨物列車が通過。シャッターのタイミングが少し遅れ、失敗。Fh000008
この迫力には鳥肌モノだ。隣のライダー氏も鳥肌をを立てていた。
2本目を撮影するため別の場所に移動する。列車が来る頃は撮影者が5人になった。上で藪を掻き分ける音がする。動物でした。
轟音とともにゆっくり列車は通過。他の3人はそそくさと車に乗り込んで行ってしまった。追っかけ行為だろうか、折角ここまで来てそんなことして何が楽しいのだろうか。
さらにその日は上り便、最終日も飛行機の時間ギリギリまで撮影でき、満足して帰宅の途についたのはいうまでもありません。
翌日からしばらく、地獄のように仕事に追われました。これもトンネル労働者たちの怨念だろうか。

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2007年9月27日 (木)

常紋峠・挑戦2001

2001年8月、レンタカーでの北海道。天気はイマイチだったが楽しいドライビングで生田原ノースキングに宿泊。ロビーはいつもにぎやかである。
昨晩早々と床についたおかげで目覚めは良い。カーテンを開けると青空。前の芝生の土手に「いくたはら」の文字が見える。
時計を見るとまだ6時、少し早すぎたようだ。時計にチューナーがついているものの、こんな田舎町ではFM放送など入るはずないだろうがとりあえず回してみた。
クリアな音質で「ジョアンナ」などオールディーズがノンストップで耳に届く。一日の始まりにふさわしい。続いて眠たくなるような甘いボーカルのかつて聞いたことあるアコースティックな曲がかかる。気になって頭に残る。
こうして音楽に聞き惚れている時も、列車は北見峠を越えた付近であろうか、確実にこちらに向かっている。
7時になった。食堂に足を運ぶ。大きなガラスからのさわやかな朝日が眩しい。すぐ横の線路を峠に向かってエンジンを吹かして列車は発車していった。
しかし感激している暇なく食事を済ませ、車に乗り込み峠へ向かう。踏み切りを渡りしばらく走ると釣堀、そこからダートになる。列車の時間が近づいているがスピードどを落として進む。
途中、道が悪く足をとられそうになる。スタッグしたらまず助けは来ないだろう。エライ所に来たものだ。すっかり人の気配のなくなった所に踏切がある。ここで車を止め構える。
しばらく待つ。沢の音しか聞こえない。ガサガサと草を掻き分ける音がする。動物であろうが熊ではなさそうだ。しかし朝かかっていた曲はいったいなんだったであろう。
まもなく、遠くで激しいディーゼル音がこだましてきた。「来た」徐々にそのディーゼル音が近づく。レールがきしみ、踏切が鳴る。静寂をかき消し頭にかかっていた曲もかき消された頃DD51重連貨物が姿を現し
ゆっくりとこちらに向かってくる。引っぱってシャッター一発。機関士と手で挨拶をして列車の通過を見送る。Dd511167 貨車の乾いた音が過ぎればまた静寂に戻る。ただ心拍数は上がったまま。
また車を走らせ、町へ戻る。足をとられぬように走行ラインを選び、やがて舗装道路に。
午後、折角なので信号所へ。金華からダート道を走ればアッと言う間に着いてしまった。鉄道ファンの学生が2人居た。クルマは便利だが、現地についてもイマイチ実感が沸かない。
おなじみの迫力を堪能しながら撮影を楽しむ。Dd51 手を振ったら機関士は大きく振り返してくれた。先客のうち1人が「動画を撮っているので動きまわらないで」とお願いされていたことを忘れてしまっていた。

帰京後、機関車好きのOndeco7f氏に手持ちのPHSのボイスレコーダで録音した音を聞かせてみた。
しかし残念ながらその迫力は伝わらなかった。
ずっと疑問に思っていたその曲がブレッドの「イフ」であったことは何年も後のことであった。この曲を聴くと、激しいビート音を響かせるDD51を連想させてしまう。

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2007年9月20日 (木)

常紋峠・挑戦

DD51の重連貨物列車が走る石北本線。
北見駅で発車風景を見て、更に数年が経った1994年。自分の車で北海道を回った時、留辺蕊ユースホステルに宿泊。
ペアレントさんから話を聞いた。
「ここから遠軽方面に行くと金華という町をすぎて国道は線路から離れるけど、線路沿いの細い道を行った先に鉄道トンネルがあります。ちょっと車でないと行けないかな。」
「建設時に強制労働で多くの人が犠牲になり、今でも線路の下に・・・」間違いなく常紋トンネルの話だ。
「金華駅近くや、他にも慰霊碑があります。もし時間があれば見に行ってはいかがでしょう。」
「トンネルが狭いので、作業員を退避させるスペースが必要らしく、作業員が部分的に広げるために側壁掘ったら人骨が出てきた。驚いた作業員たちは大慌てで夜のうちに車飛ばして旭川まで逃げた。」
「夜行列車がトンネル手前の信号がずっと赤のまま発車できず、無線で確認しても異常なし、・・・」
古い記憶で定かではないが、常紋トンネルにまつわる話を秋の夜長、更けるまで伺った。
しかし、一番良い季節、車であるにもかかわらず、鉄道に余り興味が無いので足を運ぶ事は無かった。

さらに数年が経った2000年夏、観光地もあらかた巡った事だし、思い切って常紋に向かうことにした。
午前、北見駅ではコンテナの積み込みを行っている。駅近くのスーパーで弁当を買い、水が無いのでとりあえず駅トイレで補給する。
12時9分発の金華行きに乗る。車内で食事を済ませ、終点金華駅で下車。他に客はいなかった。駅には水道も無かった。
駅を出る。駅前は廃墟の様だ。何匹もの犬たちが凄い形相で吠えてかかってくる。国道に出て北へ向かって歩く。すぐ横をクルマが高速で走り去る。操作誤ってぶつかれば命は無い。
やがて、「常紋方面→入口」の看板、そちらに足を進める。クルマの恐怖から開放される。
細い砂利道、すぐに林の中、こんどは小さな虫が周りを飛び回る。うっとおしい。
しばらく歩くとふた手に分かれる。ここを右に下りれば線路に出られるのか?下りてみた。廃墟の先は藪につつまれ進めない。戻って左へ、ひたすら歩く。林が深くなる。右に川が近づいてきた。列車の音がするので線路が近い。
やがてまた道はふた手に分かれる。右に下りた先は線路が見える。ここで右に下りて列車を待つ事にした。
しばらく待つと、生田原側から1両のディーゼルカーが音もなく通過。今度は反対方向から2両のディーゼルカーがエンジンを唸らせゆっくりと上っていった。列車が過ぎると沢の音しか聞こえない。
特急が轟音とともに走り去る。また静寂に戻る。暑い。飲物は飲み干してしまった。トイレで汲んだ水だけは手をつけたくない。
時間が近づいてきた。遠くで芝刈り機のような音が聞こえる。近づくにつれ回転数を上げたディーゼル音だとわかった。まさかである。レールがきしむ。確実に列車はこちらに向かっている。
広角レンズでカメラをスタンバイ。そして爆音とともにゆっくりと列車は目の前に姿を現す。シャッター一発勝負。
Img_0034 機関士と目が合う。会釈をしたら手を振ってくれた。乾いた貨車の音が響く。通り過ぎた列車は警笛を鳴らし、また静かになった。しばらくその場にしゃがみこんでしまった。
薄暗い山道を歩いて駅に戻る。下りなので比較的楽だ。どうにか無事に駅に着いた。すっかり夕方になっている。

旅先での大切な時間をこんな事の為に半日潰してしまった。しかし肌身をもって北海道の大自然と現実を味わう事が出来た。そして、30代の幕が開けた。

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2007年9月19日 (水)

常紋峠・序章

かれこれ20前くらいであろう。ずいぶん昔の話である。ある鉄道雑誌でこんな内容の記事を見つけた。
「石北本線に臨時ではあるが2往復の高速コンテナ貨物列車が設定されている。DD51が重連で人が歩くほどの速度で2つの峠に挑む姿は圧巻である。」
しばらく経った頃、貨物時刻表を買い求め、ついでに石北本線を調べた。2往復、確かに設定されている。
しかし峠道は山深く交通の便悪い所、高校生坊やの足で行ける場所ではなさそうだ。
その年北海道に行ったが全てが新鮮で貨物列車を見る余裕など無かった。

数年が経った。学生最後の夏休み、やはり北海道旅行をした。テツ辞めていたが、かつて貨物時刻表の「北見13時46分(たしか当時)」という時間が頭の中に残っていた。
たまたま北見にいたので半信半疑で見に行った。
DD51のプッシュプルコンテナ列車が発車していった。本当に走っていた。
Img_0018 折角の試験塗装、当時の腕前ではこんなにひどい写真で恐縮です。

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