2008年5月 8日 (木)

寝台特急サンライズ

久しぶりに夜行列車に乗車しました。
夜というより夜明けのイメージを、と1998年デビューで寝台列車としてはかなり新しい車輌です。とはいえもう10年経つ。
1537 東京駅で211系とならぶ。583系を彷彿させるデザインがグッドです。車内もなかなか豪華です。1611
今日の宿、ザコ寝。もといノビノビ座席。しかし部屋で区切ってあり、ある程度のプライバシーは保たれます。1618
最終ののぞみと同時発車。
連休だというのに瀬戸は満席ではありませんでした。 1622
横浜にて。何枚か撮りましたがどうしてもブレてしまいました。

----- 夜は更けてゆきます。いくつかの駅に止まっては走りました。------

午前4時40分。外が明るくなってきました。
ラウンジに移動します。1626 速い速度で都市部を走っております。神戸付近ですね。1625
須磨海岸を走ります。1623 1632
午前5時ちょうど。明石大橋の下を走ります。1641
姫路定時着。
1642 新緑がきれいです。1645
岡山に到着。ここで下車。1649
せっかくなので「出雲」「瀬戸」分割を見ておきましょう。1539
先発の「瀬戸」は高松に向けて、後発の「出雲」は出雲市へそれぞれ発車してゆきました。アサ飯食べる時間が減ってしまった。

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2007年10月 9日 (火)

2007・中央ドリーム大阪号

東京と大阪を安く快適に移動できるので人気のドリーム号。新宿発中央高速経由のドリーム中央号に乗車してみた。
814 唯一の休憩・境川(旧談合坂?)PAでのバルブ。

新宿駅新南口のバス乗り場です。高島屋に向かう通路の下にあります。ここから始まります。916
少し入った待合室は若い人を中心に多くの人がバスを待っています。
その半分くらいの人がコンビニ袋をぶら下げています。中を袋越しに見れば菓子や軽食やジュースにビール、やたらめったら買い込んでいるようにも見えます。
普段そんな時間にそんな物口に入れないだろうし、深夜に食べれば体には負担がかかる。結局食べないまま朝になるのだからここで無駄遣いせず旅先で美味しいもの食べれば良いのに、とぼやいてしまう。917
写真は見え辛いですが3行目に表示出ました。すぐ上は「尾瀬号」です。かつての上野発沼田行きの臨時夜行急行を彷彿させる愛称です。
918 いよいよ乗車手続。密閉された場所でのディーゼル音と喧騒はやかましいです。919今夜のシートは1階席です。

22時10分過ぎ、少し遅れて発車。100m程走ったところで動かなくなってしまいました。920 前がつっかえています。苛立ちます。921
明治通りが工事規制でした。甲州街道出るまで30分要しました。
初台ランプから首都高速。 922
923_3三鷹バス停にて。ここから中央高速です。 
遅れを取り戻すため、法定速度一杯での運転が続きます。前の座席の男性がモショモショ菓子を食べています。駒ケ岳で乗務員交代が行われました。
926924_2 名神高速走行中明るくなってきました。
928 吹田で下ります。
929 太陽の塔が見えました。
817_26時20分ごろ大阪駅桜橋口着。  予定より少し早めでした。

おまけ。Photo朝食を探しましたら1件だけ営業していました。 ここです。
阪神梅田改札脇の喫茶店です。Mesi 500円でトーストサンド。巨人ファンの自分でも大助かりです。

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2007年10月 2日 (火)

2005・ドリームにちりん

九州のうまいものねぇ、やっぱ地鶏かな。大分出身の美容師の友人U君が理髪しながらそう教えてくれた。
なにせ、ほとんど初めてといって良い九州である。まだ宮崎のセールスマン知事は登場していないので、友人の助言はありがたい。

さて、宮崎。5月とはいえ蒸し暑い高千穂ハイキングを行ったため汗だくになってしまっていた。ひとまず風呂に入りたい。
古い資料片手に風呂屋を探したが、どれも廃業している。降参して駅員さんに聞くと少し離れた所のホテルを紹介してくれた。
サウナに入り汗を流し、満足して駅へ戻る。広い道路にライトで照らされたフェニックスの木々が南風に揺れる。南国情緒を感じさせる。
駅の裏手に大きなスーパーがある。地元産の焼き鳥と缶ビールを購入し、浮き足立ちながら駅へ戻り南宮崎へ。
南宮崎。かつては東京からの寝台特急の終着駅でもあったが、駅前には人の気配は少ない。国道を歩けばレストランやコンビニなどがあるのを知ったのは翌年でした。
乗るべき列車はすでにホームで待機していた。ホームの明かりに照らされギラリと輝いている。
ハイパーサルーン。JR九州初の特急車両。民営化に際しポンコツ名車ばかり押し付けられた九州が起死回生で作ったと聞く。リニューアルされてサイボーグの様なスタイルは今なお新鮮である。
ドリームにちりん号はかつて急行日南の後継と位置づけられれば今日乗車するグリーン車はかつてのB寝台扱いか。2
23時43分南宮崎発車時点では乗客はまだ少ない。12席あるグリーン車も独り占めである。疲れた体に心地よいシートと焼き鳥にビールが染み渡る。
大淀川を渡り宮崎着。乗客が増え始める。砂土原、高鍋、日向市と停車していくうちに少しずつ乗客が増えてゆく。
延岡を過ぎた頃、意識を失う。

速いテンポのジョイント音で目が覚める。「次は宇佐」の表示である。大分での長時間停車は夢の中であった。Img
空が明るくなり始めた。5月であるので九州でも日の出は早い。Img_0001 柳ヶ浦をすぎればすっかり明るい。
高架駅の中津を発車すれば福岡県。右手に時たま海が見える。次々に駅を通過してゆく。行橋。途中で追い抜いた始発列車を待つ乗客たちがいる。駅は朝の顔になっている。
だいぶ住宅も密集してきた。まもなくアナウンスの後ガタゴトとポイントを渡り小倉着。ここでグリーン車も大半の乗客が下車してしまった。座席の向きを変えると運転席のブラインドを開けてくれた。
小倉を発車。全面展望を楽しむ。大きな工業地帯に突入。Img_0002 八幡である。Img_0003 煙突の横を通過したとたん雨が降ってきた。視界がきかなくなっている。
最後の停車駅、赤間を発車。雨はあがった。しかし速い。
4 列車とすれちがいます。5
香椎で先行列車を追い抜きます。
6 吉塚付近。終点は近い。
8 博多に到着。ちょっとした荷物輸送も行っています。
Img_0017 到着シーン。8月撮影。

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2007年9月13日 (木)

1993・おおぞら13号

9月15日祝日、高架の札幌駅。1階改札の向かいにベンチが漠然と置いてある待合スペースがある。
当時まだ喫煙できる場所だったかもしれない。旭川で風呂を浴びて列車を待っている身分とすれば煙はなるべく浴びたくない。
発車は23時(だったと思う)。まだ1時間近くもあるが、空気が悪いので改札抜けてホームに上がる。
乗車番線の片隅にあるベンチで時間をつぶす。利尻とはまなすはそれぞれ目的地へ発車した後だがあまり鉄道に興味がないので構わない。
待ちくたびれた頃、くたびれた電車が目の前に停車した。「クハ711-902」試作車だ。興味はなくなったとはいえ記憶は定かである。
運転席が乗務員がくたびれて降りてきた。停車時間に一服してまた乗り込んで発車していった。また1人になってしまった。
まもなく列車は小樽方向から入ってきた。旭川方向から入ってきたと感じるこの駅はどうも方向感覚が狂う。
しかし先頭のキハ183-500番台系列は国鉄末期に民営化へのフラッグシップモデルの様な存在であった。それが夜行とはいかに、複雑な気持ちである。
さらに色の違う寝台車を真ん中に2両挟んで、現物を見て少々カルチャーショックを受けた。
指定席に乗り込む。当然の如く普通のリクライニングシートである。数年前の「まりも」指定席よりも劣る。料金だけは特急なのに。
列車は時間通り発車。エンジン音はさほど気にならない。
夜景を楽しむ記憶なく旅の疲れで眠ってしまった。
新得で列車交換。寝ぼけ眼である。
デッキのドアの開閉で目が覚める。列車は帯広に到着していた。停車時間を利用してホームに下りてみる。寒い。改札に足を運ぶ気力はないので車内に戻る。
ヘッドホン式カセットデッキのチューニングをいじる。音楽がかかっている。「心の旅」であった。深夜にチューリップの曲も悪くはない。
「青春の影」でジーンと来る。されにセルフカバーで聞きなれた「さぼてんの花」がかかる。アコースティックなサウンドが寝ぼけた体に染み渡る。
景色が動き始めた。この曲をBGMに帯広を後にした。感動指数が上昇している。
ひたすら闇の中を列車はゆっくりと走る。その間もチューリップの曲は何曲も続く。DJが「いいですね~。」と感慨深そうに話す。また曲が続く。
雑音が入り始めた。そろそろ電波が届かなくなってきた。まもなく池田である。残念ながら今は停車時間はあまりない。
池田を発車。空が青くなってきた。明けの明星であろうか。星が輝いている。
海岸線を走る。青空である。しかし海岸線を離れると霧が濃くなってきた。原生林の中を走っているようだが遠くがあまり見えない。
車内に目をくれる「キハ182-12」のプレート。自分の周りに乗客は少ない。白糠着。斜め後ろに座っていた女性2人組が下車。ついに自分の周りには誰もいなくなってしまった。
しばらく霧の中を走る。並行する国道もよく見えない。しかし時間通り6時釧路に終着。
寝不足は辛い。気動車が原因だと思い込んだ。

数時間が過ぎ、その日宿泊のユースホステルに着く。いろいろな人と仲良くなった。
睡眠をとればこの列車で釧路に向かったこと、この時仲良くなった人のことはとても楽しい思い出になった。
そして「テツ」に逆戻りした自分がいた。 Photo写真は1995年7月にあらためて撮り直しました。

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2007年8月29日 (水)

2004・ムーンライト信州

新宿から中央・大糸線を走り白馬へ向かう季節運転の夜行快速列車。
今年みたく8月の暑い日、この列車を利用した。夜になっても涼しくならず、じっとしていても汗がにじみ出てくる。帰宅客の雑踏で余計に暑苦しい。Photo (この写真のみ2006年秋撮影)
特急専用ホームから出発するのでそちらに向かうと山男や自転車部隊など、すでに多くの人達がこの列車を待っている。
待ちくたびれた頃ようやく入線。列車は183系。かつて「あずさ」で活躍した特急車両である。1
ドアが開くと皆吸い込まれるように車内へ入っていく。全車指定なので座席の奪い合いは無い。
満員の乗客を乗せ、新宿駅を発車。夜なお明るくヒートアイランドの摩天楼を後にする。普段の通勤路線で通い慣れた車窓もリクライニングシートであればなんだか不思議な感覚に陥る。
左側からステンレスに黄帯の緩行線列車が追い抜いてゆく。しかし次の駅で抜き返す。時代は変わってもダイヤはあまり変わらない。
立川、八王子と停車。少しだけ残った主のいない席が埋まる。景色は少しづつ暗がりが広がる。
列車は高尾を過ぎ、断続的にトンネルが続く。車内は明るいままであるが意識を失う。
気がつけば大月を過ぎて、笹子トンネルに向かって坂をのぼっている。やがて長いトンネルを抜け、左手に甲府盆地が広がる。宝石を散りばめたような夜景は、無理しても起きておく価値はある。
ほどなく塩山。深夜にかかわらず、山男たちが下車してゆく。
塩山を発車し、甲府へ。甲府に限らずほとんどの駅では停車時間が短いので下りられないのが残念だ。
また意識を失い茅野到着のアナウンスで目が覚める。山男たちが続々下車してゆく。
上諏訪、岡谷と停まり、塩尻へ。その頃少し明るくなり始めた空は、10分間の停車中に青く染めてゆく。
塩尻を発車。リズミカルなジョイント音とともに徐々に車窓が明るくなる。
この年、自分はいわゆる女性問題でかなり悩んだ。会社、親を巻き込み、結果体重も減った。自分をののしった女は何故あんな行動をとったのだろう。疑問が怒りを蒸し返す。
松本到着のアナウンスで我に返る。寝不足は余計な記憶を呼び戻す。
明るくなった松本到着。乗客が続々と下車してゆくが、停車時間は短い。
さて、アテネではオリンピックが開催中である。柔道、水泳、体操や陸上競技においても日本人選手が活躍をし、テレビでの興奮を思い出した。
松本を発車した頃、そのつどかかったテーマ曲「栄光の架け橋」頭の中でかかる。やはり寝不足である。3
駅に停まる毎に少しずつ乗客が減ってゆく。信濃大町でだいぶ下車し、3分の1くらいにまで減ってしまった。少し霧がかかるが、さわやかな早朝の湖畔を列車は走る。窓が開かないのが残念だ。
大糸線がこんなすばらしい景色であったのは知らなかった。
ちょっとした山あいを走る。萱葺きであったであろう農家の建屋がちらほら見える。
乗客たちも荷支度を整え始める。
白馬に終着。皆次々と下車してゆく。真ん中がスロープになっている狭い跨線橋を登山靴達が足音を立て改札へ。
山男たちは駅前広場でタクシー、バス乗り場に更なる目的地へと向かっていった。
さわやかな高原の朝。昨日、いやつい数時間前まで大都会の雑踏の中にいた事が嘘のようだ。

自分にとって「栄光への架け橋」となったであろうこの列車の引き上げ回送を湖畔で撮影いたしました。Img
さて、今度はどんなドラマが待ち受けているであろうか。

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2007年8月20日 (月)

2007・急行はまなす

067 066 青函トンネル開業時に設定された青森と札幌を結ぶ夜行列車です。
14日夜に自身16年ぶり3回目(なんか甲子園みたい)の乗車です。
北海道東日本パスで乗車できる急行列車である。そのため自由席の混雑が予想され、青森での利用者は20時43分着の東北線乗り継ぎ客が主であろう。
ということはその前の20時丁度に着く特急で先回りした。179 20時10分のホーム。まだこんな状態です。
案の定20時45分頃、東北線からの乗り継ぎで列は伸びた。180 21時を過ぎると荷物の番が増え、夜行列車のムードが高まる。182
21時30分頃列車入線。14系と24系の寝台および座席車で構成され、ゴロ寝車両やシートを改良したドリームカーも連結しています。
この日は寝台3両、指定席5両、自由席3両の11両編成です。ドアが開きます。行列のほぼ先頭だったので余裕で座れました。
停車中に席は埋まっていきます。185 発車間際に大学生らしき人が「隣あいてますか。」折角なので座らせた。混雑するのわかってるのだからもう少し早く来ればいいのに、と心で彼に訴えた。
184 いよいよ発車。札幌に向かいます。目を閉じます。列車はいくつものトンネルを抜けて青函トンネルへ。意識がもうろうとし始める。
過去の経験上青函トンネル内から東室蘭手前まで熟睡しているから、今回も眠れそうである。
しかし函館のアナウンスで目が覚める。186 ここで進行方向が変わる。後ろ向きで走る。大沼へののぼり勾配、トンネルが続く。
2号車に乗車しているが、長大編成を引っぱるDD51の唸りがここまで響く。やがて長万部。アナウンスは容赦ない。
次に目が覚めると、左側の車窓が明るくなり始めている。トンネルを抜けるとだいぶ明るくなってきました。187 右に巨大な工業地帯とつり橋を見ながら東室蘭。
今度は右側が明るくなってきました。188
190 192 194 時折海が見えます。
グロリア・エステファンの曲が似合いそうな車窓です。
191 苫小牧を過ぎると始発列車の意味合いも強くなり、日差しも強くなってきました。197
198 南千歳、千歳、新札幌と止まり、札幌に6時7分終着。一日が有効に使えそうです。068

18日に青森行き列車も東室蘭から乗車しました。
乗客たちの表情を見ると様々な人間模様が感じ取れました。
153 155 青森県に入ると空が明るくなっています。673
こんな垢抜けない夜行列車。日本人の風土にピッタリです。飛行機・バスなどアメリカの文化を押し付けられる筋合いはありません。
いつまでも走り続けて欲しい列車です。674

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2007年7月25日 (水)

1987・急行まりも

国鉄が民営化されたこの年、鉄道が単なる移動手段だけではなくひとつの商品としていろいろと試行錯誤された年でもあった。
国鉄時代のものと新しいものが同居した姿は鉄道好きにとっては堪らない年でもあった。
あれから20年が経ちました。その間思い出あるこの列車は特急格上げ吸収後、再び愛称が復活しましたが、ついに今秋で臨時に格下げられてしまうそうです。

Img_3 8月23日、その日は夕張を見て回り、夜8時過ぎに札幌駅に戻ってきた。0番線脇の立ちそばを食べ、英気を養う。
札幌と釧路を往復している急行列車で、B寝台車4両と指定席1両、自由席2両連結されています。
初めての首都圏以外始発の夜行列車であり、何かあっても友人の他に知り合いはいない。一抹の不安がある。
まだ早いが駅の外に出て見知らぬ町をさまよっても仕方ないので列車の入線する4番線ホームドア口で待つことにした。
さすが大都市札幌駅だけに様々な列車が発着し、退屈しなかった。隣の5番線に大きなアナウンスと共に「利尻」が入線してきた。
電気機関車の音とそれに続く14系客車のブレーキ、ディーゼル音が全てをかき消す。ドアがあくと長い行列は車内に吸い込まれていった。しばらくしてアナウンスと共ディーゼル機関車に牽かれて「まりも」が入線。胸が高まる。ドアが開き車内へ。車輌中央の進行方向右側に座る。前の座席を回転させ4人掛けにし、友人と2人お互い足を伸ばす。乗車率は60%くらい。停車駅時刻の車内アナウンスが流れる。道内の駅名が次々に読まれ、北海道に来たという実感が沸く。先発の「利尻」は稚内に向けて発車したようだ。ホームへ買い出し。アクエリアスレモンと少年ジャンプを購入。ジャンプを読むがキン肉マンと奇面組の連載は終わってしまった。
22時25分。機関車の警笛とともに発車し、左右にくねらせながらポイントを渡ってゆく。聞こえてくるのは乗客のはずんだ話し声と床下のディーゼル音、機関車の音くらい。どれも気にならない。発車後のアナウンスが入る。懇切丁寧である。寝台車は明日のモーニングコールまで放送無しとはこの時初めて知った。直線の千歳線をとばし、千歳空港より石勝線に入る。外はもう何も見えなくなった。追分あたりで意識を失った。
小さなショックで目が覚めた。新得到着だった。反対ホームには上り便が停車している。また何となく意識が遠くなる。帯広到着のアナウンスが聞こえた。線路沿いに民家や街灯が見える。旧型客車を利用したライダーハウスを横目にホームに滑り込む。20分停車。とりあえず改札へスタンプを押し、入場券を買い求めた。駅員さんが日付のチェックをし、笑顔で応対してくれた。こんな真夜中にありがたい。ホームで背伸びをする。夜霧がたちこめひんやり寒くなっている。先頭のDD51ディーゼル機関車の2200馬力の心臓が発車を待っている。席に戻り、列車は帯広を後にする。橋を渡る。暗がりの中、右に使われていない鉄橋が見える。半年前に廃止になった広尾線の橋のようだ。橋を渡るとまた何も見えなくなった。しばらくするとアナウンスが入り、池田に到着。7分間停車。滑り止めのゴムシートが敷かれた木造の跨線橋を渡り、入場券を買い求める。笑顔で親切な対応でした。今思えばこんな時間帯に応対できる駅員などまず居ないのでものすごく貴重な経験でした。空がうっすら青くなっている。池田を発車。窓の外が徐々に明るく視界が広がり始めてきた。曇り空の様だ。
十沸を通過した頃少しずつ車窓が広がる。通路挟んだ反対側の車窓に見とれる。牧草地が遠くまで広がり、その向こうに小高い丘が続く。丘の中腹に雲がかかっている。まさに北海道の風景である。起伏のゆるやかな牧草地にはサイロや干草をロール状に巻いたもの(あれ何ていうんですか)が車窓に変化を添える。すばらしい眺めである。浦幌を発車し、雑木林の中へ。雲の間から光が差し込めてきた。窓さえ開けば・・・。
列車は右に左にくねらせながらゆっくりと林の中を走り、小さなトンネルに入る。雑木林を抜けたら霧がたちこめてきた。小さな集落が見え、ひとけのない駅を通過。単調なジョイント音が身にしみる。
左にカーブし、右側に突然海が見えた。どんよりとした空の下波が荒い。しばらく海岸線に沿って走る。左側は湿原が広がる。湿原の向こうから国道が近づいてきた。灯火をつけたトラックが同じ方向に走る。道路が空いているため、こちらに目もくれず追い抜いてゆく。鉄橋を渡り集落が広がる。音別だ。乗客たちもそろそろ起きはじめている。音別で数人が下車し改札へ向かっている。音別を発車し、白糠へ向かう。霧が濃くなってきたためあまり見えない。ほどなく白糠着。反対方向に始発列車が停車中。4両位の編成は学生や用務客でそこそこの乗車率である。白糠を発車。次は終点釧路である。車内はだいぶ空いている。荒涼とした大地を走り、国道を横切る。工場が目立ってきた。
オルゴールと共に最後のアナウンスが入る。乗客たちが下車の準備を始める。新富士駅通過。貨車が沢山止まっている。川を渡り住宅街を横目にゆっくりと釧路終着。ドアが開き、列車を降りる。肌寒い。「くし~ろ~。くし~ろ~。」駅員のアナウンスからはるばるやってきた事の実感が改めて沸く。
ディーゼル機関車のアイドリングと客車のディーゼル発電機がホーム一杯に響くが疲れた様子はない。乗客たちは乗り換えてさらに東に向かう人、改札を出てゆく人、皆足取りは軽い。Img_0009_1
列車に別れを告げ、霧雨の中街へ繰り出す。さて、朝市にでも行きましょうか。

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2007年6月21日 (木)

ロンドン発エジンバラ行き・2001

2001年の5月の連休、英国に行った時に足を伸ばしてエジンバラまで夜行列車に乗車しました。
写真からの記憶をたどっていますので、少々食い違うところがあるかもしれませんがご了承願います。

物価の高いイギリスでの宿代の節約と鉄道発祥の地での夜行列車、興味がわきます。トーマスクックの時刻表を見ても列車の愛称はありません。
ロンドンを精力的に動き回り、始発駅であるユーストン駅へ。Img_0014
出発までかなり時間があるので駅員に尋ねると、上野よろしく半地下ホームの片隅にある専用の待合室を教えてくれた。何もする事がないのでここで時間を潰します。
まだ誰も来ていません。2時間ほど一人でした。それから先発のインバネス・アバディーン方面行きの乗客たちが一組、また一組と部屋に来ました。
客層を見ると、レジャー・アウトドア派がほとんどでした。人なれした大きなイヌを連れた人もいます。
やがてインバネス・アバディーン方面の乗車のアナウンスが入ると皆待合室から去ってゆきました。最後にイヌを連れた夫婦から「乗車しないの?」と心配され、23時45分発のエジンバラ行きと伝えサヨナラし、また一人ぼっちになってしまいました。
それから小1時間、ぽつぽつと人が現れ、ようやくエジンバラ・グラスゴー行きが入線、乗車となりました。13両くらい連結され、先頭の機関車はホームからはみ出ています。雨が降ってきています。
列車は発車。2人用個室を1人で使用し、ドアにロックはありません。少し寒いです。
何度か目覚め、気がつけば外は明るくなっています。どうやら西側のランカスター経由で走っていた様です。
いくつかの駅に停車し、Carstairs近郊でしょうか本線上で止まってしまいました。Img_1
窓の外ではリスが木登りしています。やがてクロワッサンとコーヒーの朝食が配られました。Img_0001
どれくらい待ちましたでしょうか。ようやく列車は反対方向に動き出しました。どんよりとした空の下のどかな田園風景が広がります。Img_0002_1
やがて石造りの町並が広がり、停車した駅が終点エジンバラです。Img_0004_1 Img_0003_2 (写真は90型電気機関車と寝台客車)当時はまだ日本で欧州サッカーもあまりメジャーでなかったので、日本人観光客も今より少なかったでしょう。Img_0008_1
ここからエジンバラ城までは徒歩でアクセスできます。

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2007年6月14日 (木)

アルプス59号・1986

たしか、昭和61年の8月18日、夏の運行最終日に乗車したと思います。
夜行アルプス乗車のクセで早い時間から新宿駅でスタンバイしていましたが、待合せ場所が地下中央通路であったため、帰宅客から軽蔑とも受け止められる注目を浴びながら列車を待っていました。
車内はガラガラ、日付が変わった0時10分に新宿を出ました。珍しいブルー・トレインだけに帰宅時の酔客からはまずまずの注目でした。
最初の停車駅八王子で大停車。ホームで列車待ちをしている人たちと目が合い、やり場に困る。大月、先発の441M上諏訪行きを追い抜く。塩山、甲府、韮崎、小淵沢と列車はこまめに停車する。そのため眠れなかった。
上諏訪付近で空がなんとなく明るくなっている。あいにくの曇り空である。
床下発電機から振動でしばらく足がしびれてきた。折角の貴重な乗車体験なのに早く松本に着いてくれ、そんな思いがよぎった。
辰野を通り、塩尻へ。すっかり明るくなった塩尻峠の大八回りを車内から記念写真、59 「北オク」のスハフ12-149から後方です。
しかもその時随分写真を撮ったのですが、残っているのはこの1枚だけです。やがて列車は松本へ。曇り空で少しがっかりでした。
足のしびれはしばらく残りました。
機関車はEF64-35「八」でした。これも民営化の際JR東海に所属となり塗り替えられました。

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2007年6月11日 (月)

アルプス11号・1984

これは1984年の8月21日に乗車した時のレポです。古い記憶と旅メモを頼りに記入していますので、曖昧な部分があるかもしれません。

Photo_97 すっかり夜行列車の虜になった自分は、その年の夏休みを利用して夜行アルプスに乗車する計画を立てた。
乗るならばやはり客車の59号。しかし多客期だけの臨時であり、貧弱な学生は新宿乗車時に間違いなく山男たちに潰される。
ではお盆を過ぎたあたりなら空いてくるはずなので「甲府2時」に魅力を感じて9号を選択。
ただ自由席が4両しかついていないので、諦め半分で11号にした。
当日夜、高まる感情を抑えきれず発車2時間前には友人引き連れ新宿駅に。3番線に列車が入線するが、駅員に尋ねるとぶっきらぼうに指示され2番線へ。まだ列にほとんど人はいなかった。
ひたすら待ちます。小田急デパート上の時計からようやく入線時刻が近づきました。貨物列車の隙間から3~5番線ホームを見渡すと、夜行列車揃い踏みで準備は整っております。
先発9号の列は駅員に連れられ階段へと消えてゆきました。(写真は9号)
9 しかしこちらの列は動こうとしません。やがて9号は発車しましたのでソワソワしてきます。
やがて、ようやく駅員がやってきて列車まで案内してくれました。先頭車のドアが開き、中へ。デッキをぬけ、ずらりと並んだボックスシートが着席場所を迷わせる。
とりあえず車両中央付近の進行方向右側を選択。荷物を置いてホームで買い物。懲りずにクーラーボックスから缶コーヒーを買う。向こうホームの5番線には441Mが満員の乗客を乗せ待機している。
車内に戻って落ち着いた頃、静かに発車。ポイントを渡り、11両編成は摩天楼の下を走る。
友人がM・ジャクソンのカセットをかけてくれた。どうせ車内はすいている。
クーラーからの空気が少々臭うので窓を開けていたが、検札に来た車掌に閉めるよう言われた。
いかんせん遅いので、併走する緩行線の「各駅停車」にあっさり抜かれる。帰宅客で混雑しているが、次の駅で抜き返す。
日付が変わって8分後に地元武蔵小金井通過。ここまで来ると高い建物は少ない。いつしか車内も暗くなる。立川通過し、最初の停車駅八王子。ホームに人はいるが、乗る気配はない。
ゆっくりと高尾を通過し、いよいよ山へ。トンネルが続く。外は見えないが、台風が近づいているため雨が窓を叩く。
大月を過ぎ、笹子トンネルを抜けて甲府盆地へ。進行方向左手の夜景がすばらしい。
やがて甲府へ。しばしの休憩。反対ホームには上りアルプスが停車中。雨は止んでいるがホームはびっしょりぬれている。
甲府を発車。茅野まで止まらない。時刻表を見る限りでは「あずさ」より停車駅が少ない、が、遅い。外は見えないがひとつひとつジョイントを刻む音でその遅さが想像つく。
寝たのかどうなのかわからないまま列車は茅野、そして上諏訪に。停車中にホームに降りたが記憶にない。
上諏訪を発車し左手に湖を望むが真っ暗である。岡谷通過のポイントを渡ると列車は目覚めたかのようにスピードを上げ、豪快にトンネルに突入する。2両目の先頭車のメーターを覗くと100キロを指す。
トンネルを抜け席に戻ると、車窓に見える東側の山の稜線の角に「?(よくわからない丸いものの一部)」が見える。その「?」がすこしずつ大きくなる。どうやら太陽の様だ。
塩尻に11分間停車。空がじわじわ明るくなってくる。塩尻を発車。スピードを上げる。雲がかかった山の向こうから太陽が光を放つ。しかし空の上はいまだ満天の星空。真夏だというのにオリオン座が見える。
わずか数分であるが忘れられない風景になりそうだ。
やがて列車はスピードを落とし松本へすべりこんだ。乗り換え客や寝顔写真を撮るグループ、車内はにぎやかだ。そうしているうちに隣の線路に「ちくま」が到着。機関車の音がたくましい。
ここからは大糸線。4両編成の各駅停車となって身軽に走る。
すこし雲がかかる。駅間距離が短いのと、コスモスが咲いている、以外に記憶はない。
11 5時39分、目的地穂高に到着。降りたのは自分たちだけだ。スロープで列車を見送る。ありがとう、クハ169-19。

この時の夜行列車の旅は、膨らんだ期待を更に上回るものであり、その後いうまでもなく急行型電車が好きになった。
自分にとっての「夜行列車」のイメージは「目がさめると見知らぬ世界」ではなく「朝焼けのクライマックス」という観念ができた。
当時ヒットしていた曲を聞くとこの日の出来事を、そして今も新宿から中央線で下ると大久保付近に続く進行方向右手カーブ外側の鉄柵を見ると当時のワクワクを思い出す。

駄文長々お付き合いありがとうございました。お礼にHPアルバム予定用のまさにその日の写真も小さくですが貼り付けておきました。

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