115系300番台
12月で211系への置き換えが完了した(らしい)115系300番台。
この形式との接点は多かった。
一番古い記憶では1980年夏休み、八ヶ岳の帰りに小淵沢から八王子まで乗車した臨時アルプス。
警笛を鳴らしながら小淵沢のカーブしたホームにやってきた。
空席を探し、友人とドア横のシートに腰掛けて駅で買った焼きトウモロコシを分けっこして頬張った。
走行中も誇らしげに警笛を鳴らし続け、また島式ホームの韮崎では、反対側にも同じ115系が停車していた。でも、「こっちは急行だよ。」と誇らしかった。停車していくごとに乗客が増えて行った。その後の記憶は失われた。この遜色急行にすわれたのはたぶん岡谷か上諏訪始発だったのだろう。
そして、83年には件の夜行鈍行。あの窮屈な座席でNCAAのショルダーバッグを手放さずによく一晩過ごせたものだ。荷物電車。甲府の長時間停車。小淵沢の夜明け。上諏訪、岡谷、辰野での気怠い停車時間。
もうどれも30年以上の記憶となってしまった。
乗車した割に撮影は意外と少ない。
武蔵小金井に留置されている姿を毎朝車窓から見えるが、なんともいえない空しい気持ちになる。
日曜日に時間をつくって車庫を覗いてみた。
これらがお役ご免な存在だとわかっているだけに胸が詰まる。
中央東線ではこの形式とロクヨンだけは絶対に無くならいものだと思っていた。
これといいて目立ったさよなら運転などなく、ひっそりと身を引いたのもとても「らしい」感じだ。
そうして、しばらくたってから妙に懐かしい存在になるのでしょうか。
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