けん引免許
「う~ん、このままだとこの先ちょっと補習がいるかな。」
第一段階の時の指導員の手厳しい言葉が今なお残る。
11月に睡眠時間もあまり取れない中、長野でレンタカーを運転し、腕前に自信を持ったので、一発奮起して教習所に通い始めた。
まずは、それまでの車とは別の乗り物だということから叩き込まれた。
トレーラーは見ての通り間接部があるので、特に後退時のハンドルさばきは独特だった。
その後、どうにかコツを覚えて操作できるまでに至った。
第二段階の後半になると、指導員から「けん引二種もとってみては」とか雑談もできるまで気持ちの余裕が出始めた。
そろそろ終了の頃、最初の人からも「消防だっけ?」と聞かれた。消防署員に間違われるのは悪い気持ちはしない。
まさか、「西部警察を見て(その免許が必要な特殊車がある)」とは口が裂けても言えなかった。
今回は規定時間12時間で終了。
卒業検定の申し込みを行うが、火曜木曜しか行われないので、23日の祝日にどうしてもあわせたかったので必死だった。
申し込みも無事どころか、大型中型大特大自二所有でかなり驚かれた。ついでに予習1時間も予約。すぐ後ろに並ぶ青年は何を思ったことか。
予習1時間でみっちり指導していただき、卒業検定にのぞむ。
検定室で仮免試験の若者たちと一緒にポイントを教わる。本番もどうにかやり終えた。
先にぼっちで検定室に戻る。後ろから試験管氏がやってきて、「合格ダヨ。」と言われ、恐縮ながら社長室に連れていかれる。
社長室で証書を手渡され、いろいろと話を聞き、教習所を後にした。
これで証書を試験場に持っていけば「けん引」が免許に書き加えられる。
思い起こせば9年前の12月24日、今はなき教習所で大型二種の練習から始まり、自動二輪、大特、大自二、そしてけん引まで至った。その大型二種だけはまだかなっていない。
大型免許を取得したときに考えが変わった。
「ハンドルでカウンターをあてタイヤを滑らしながらコーナリングをする運転」は上手い運転とは言わない。公道では無謀運転である。
大怪我大病など余程の事がない限り、職にあぶれることはなくなりそうだ。
これで日本国民の夢である「生活保護をもらってパチンコ」生活は送れなくなった。
この更新で今年も終了。皆様よいお年を。
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