インディアン・パシフィック ~South Austraria2000~ 1
長らくしまっておいた郵便物がある。
ある人から旅行記の依頼を受け、作成したものである。
投函したものの、残念ながら雑誌の休刊により没になり、返送されてきたものだ。
消印は13.7.9なので約10年ぶりに封を切った。 原稿とフロッピー、そして写真が入った封筒が入っている。
今から10年前に書いた原稿を読み返すと、自分で書いたものなのか?と思うほどすばらしい文章である。
いろいろ考えましたが、氏名等を伏せる以外はほぼ原文のまま掲載します。
では、まいります。
師走の東京は北風が強く、肌は乾燥し、手・足・唇に皸ができとても痛い。そのせいか、
実際の気温よりもさらに寒く感じる。20世紀も終わるのも手伝ってこの多忙の中、無理を承知で私はオーストラリアのシドニーへと飛んだ。
シドニーからアデレードへは飛行機で、そこからインド洋に面したパースまでは長距離列車「インディアン・パシフィック」を利用する、大陸横断の旅である。
インディアン・パシフィックはシドニーとパースの間4,352kmを走る、真の大陸横断列車である。この2000年は誕生30周年。私と同い年である。
私自身、初めての南半球であり、見知らぬ土地でのけがや不意な病、あの赤い大地の上で生活する人々はこの日本人を受け入れてくれるだろうか。不安を乗せて、航空機のシートに身を沈めた。
私が初めて海外に出たのは今から丁度10年前、Oという男と2人で香港に出掛けた。別に親しい間柄でもなかったが、貿易会社に就職が決まった彼は、英語がまったく話せなかったから私を誘ったのだろうか。香港で突然のラブストーリーを期待していた彼と、純粋に旅を楽しみたかった私とで喧嘩が絶えなかった。今となっては良い思い出である。
あれから10年、英語を話せぬ貿易マンは、少しは出世しただろうか。
アデレード空港に到着し、タラップに足をつけた途端、強烈な太陽に目が眩んだ。この時の精神状態が一番孤独で辛かったが、バスをつかまえ、市の中心部に向かった。 アデレードは南オーストラリア州の州都であり、早くから英国文化を取り入れ、見渡せば、英国の香り漂う街である。街外れにケズウィック駅がある。
そこでチェックインをすませ多くの乗客と一緒に列車を待った。やがて、インディアン・パシフィックが入線してきた。
ホームに上がると、重厚なステンレスボディの車体を夕日に輝かせて、ボディサイドにはイーグルの絵があしらわれている。 最後尾には自動車運搬車が連結されている。まるで陸の豪華客船だ。
先頭に機関車がゆっくりと連結されてきた。ディーゼルエンジンの音も力強いそのグレーの車体は、まるで装甲車を思わせる。
全ての準備が整い、いよいよ発車だ。
発車してまもなく、デッキに立つ私に背後から、
「はーい、ミスターT。食事は2回にわかれています。1回目にしますか。それとも2回目?」と声をかけてくる男がいる。アンドリュー車掌である。黒縁メガネをかけた、どことなくクラーク・ケントにも似た明るい好青年である。私は乗車前に軽食をとっていたので、迷わず2ndと伝えた。彼は私にシィッティングカードを手渡し、忙しそうにその場を立ち去った。ところでミスターTとは乗車券に書いてあった私のイニシャルである。なんだか少し前の弱い覆面プロレスラーを連想し、あまりありがたくない。
2晩世話になる部屋を見ると、広くはないが、ベッド、洗面台、トイレを装備し、BGMも流れている。コーヒー、紅茶は飲み放題であり、蛇行する通路を行けばシャワー室もある。快適な旅を約束された。
車窓は、郊外を抜けたらしく、農場が広がる。 丘の向こうに夕日が沈む。並行する道路をロードトレインという車が走る。これはトレーラーの後ろに更にトレーラーを連結している。まさにトレインだ。やがて夕日が沈み、進行方向の空から少しずつ闇が訪れる。完全に暗くなるまでかなりの時間が流れた。感動的な1日のクライマックスである。
ところで日頃の生活は、目が覚めると朝であり、知らないうちに夜になっている。その夜も人工的な光でまるで昼間のように明るい。目に入る物全て人工物であり、耳をすませばどれも自然界には存在しない音である。確かにモノに溢れた日本は豊かであり、そんな日本を誇りに思うが、果たして本当に豊かなのだろうか。
やがて、「2ndシッティングの皆様、お待ちどうさまでした。」とのアナウンスが入る。早速食堂車へ向かう。日本以外の人と席を共にして食事をするのである。さながら英会話教室の様であり、少々ドキドキである。
案内された席は先によく太った夫婦が座っていた。挨拶を交わし聞くと、カナダからやってきたとのこと。すぐに私の前に大男が座った。こちらはメルボルンからやってきたそうだ。ワインを注文する。言葉の壁があるので話が進みにくい。しかし、親切に気を使ってくれた。メイン料理は、勧められたカンガルーのステーキを挑戦した。食べ終わったころ。カナダ婦人に「初めての肉でしょ。美味しかった?」と料理の感想を聞かれた。少々酔っていた私は、「口にあわなかった。」と半ばジョークのつもりでいった。メルボルン大男がむっとした顔になった。悪い事言ったかな。
話は進み、メルボルン大男が私のグラスにワインを注ぐ。ステーキの件もあり一気にいただく。カナダ男も続いて注ぐ。それもいただく。このテーブルは忘年会となってしまった。列車は夜更けのポートオーガスタに停車していた。そんな私をカナダ婦人が私を心配してくれた。最後にどぎついのを男3人で乾杯する。その後の記憶はない。
7時42分に目を覚ます。ブラインドを開けると赤茶色の大地の上に木が点々と生えている。しばらくして朝食を取りに食堂車へ足を運んだが、なぜか支度中であった。ウェイトレスにラウンジで待つよう言われ、「?」のままラウンジへ足を進める。時計を見ると、まだ6時50分であった。時差が生じたのか、あるいはまだ昨日の酒が残っているのか、肩を落として部屋に戻る。部屋の鏡に自分の姿が映った。不精髭の生えたその顔は、飢えた獣の様だ。いずれにせよ、この時差の原因は、今になっても解らない。
まもなく、「コンコンコン」とノックされた。ドアを開けると、「グッドモーニング・サー」アンドリュー車掌がモーニングコーヒーを差し入れてくれた。ありがたい。
つづきます。
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