インディアン・パシフィック ~South Austraria2000~ 3
車窓には相変わらず荒野と地平線が限りなく広がっている。 映画「マッド・マックス」の世界がそこにあった。遠くに湖が見えた。蜃気楼だった。その時、カンガルーを発見。3頭こちらをむいている。親子だろう。気がつけば、ソファから身を乗りだしていた。
時は過ぎ、退屈なのでラウンジへと移動する。紅茶を飲み、日が傾きかけた頃、ようやく木々の姿が増えはじめた。 やがて、夕食となる。今日はポークソテーをチョイスした。前菜のサーモンが実に旨い。横から声がかかった。「もうすぐカルグーリにつく。ここではナイトツアーがある。お前も参加するか。」カナダ夫である。折角なので、ぜひ参加してみる事にした。夕食も終わり、カルグーリに到着。ホームに降りれば、多くの乗客たちが同じツアーに参加する為、バス停に向かっていった。私もその流れについていった。バスは2台に分乗して町へと向かった。カルグーリは、金の発掘で発展した町である。町の中はウェスタンの風景そのものである。町を抜け、郊外の金鉱へと向かう。金鉱は、ダムの建設現場の如く、この深夜にもかかわらず、採掘作業が進められている。 空を見上げると、たくさんの星に手が届きそうな程輝いていた。バスツアーも終わり、列車内でシャワーを浴びる。汗を流して部屋に戻る頃、列車は動き出していた。全ての明かりを消し、ブラインドを開けて、流れる夜の車窓と満点の星空をいつまでも眺めていた。
朝、目が覚めると車窓には牧草地や畑が広がり、羊たちが餌を食んでいる。昨日までとは違う、牧歌的な風景である。
かつて勤めていた会社に、A子という女性がいた。どことなく愛らしいの顔立ちとおっとりとした性格は、男性社員からの人気者であった。そんな彼女が、配置換えされてきたばかりの私に親しげに話し掛けてきた。最初は驚いたが、やがて打ち解けるようになっていった。しかし、私にとっての幸せな時間はそう長くは続かなかった。やはり妬まれていたのだろうか。翌春、私に下った辞令は、地方転勤であった。そんな宣告を下された私は、その会社と決別した。それから間もなくして、彼女からの便りをもらった。この地からであった。今私の見ているこの風景は、当時の彼女の瞳にはどんな風に映っていたのだろう。その後もA子とは年賀状などで連絡をとりあってきたがそれも結局、数年前に私からの便りを最後に、途切れた。
恋というのは、儚いものである。
「コンコンコン」ノックをしたのでドアを開ける。アンドリューだった。相変わらずタイミングよくやってくる。
「グッドモーニング・サー。よく眠れましたか。」底抜けに明るいこんな彼も恋人に振られたときは落ちこむのだろうか。そんな時の顔を見てみたいものである。
朝食は、スクランブルエッグをチョイス。この顔ぶれで食事をするのもこれが最後だ。
車窓には、人家が少しずつ見えはじめている。目的地も近い。
食事も終わり、窓の外をみると、短いホームと人影が見える。シティトレインだ。そこの線路はやがてこの列車の足元に吸い込まれていく。
席に戻り、荷支度を整えている頃、それまでゆっくりと住宅地を走っていた列車はその歩みを止めた。イーストパースに終着した。BGMからは、「イマジン」が流れていた。
アンドリュー車掌に見送られてホームに降りる。 ホームにはたくさんの乗客たちがいる。出口に向かう途中、メルボルン大男に「元気でな。気をつけて旅を続けろよ。」と声をかけられ、その他知り合った友人たちからも握手を求められた。名残惜しくなり、目頭が熱くなってしまうのは、なぜだろう。みなそれぞれの思いを胸に、散っていった。
パースシティ駅から、トランスパースというシティトレインでインド洋に面した町、フリーマントルへ向かう。降りそそぐ太陽の下、軽快な足取りで列車は走る。30分ほどで終着。潮の香りがする。駅を出ると、そこは19世紀の建物で整然としている。 英国の様である。しかし、この強烈な太陽は、英国にはない。 そんな町を抜け、視界には青々とした海が広がる。 インド洋だ。さらに足を進め、砂浜からサンダル履きのまま海に足を入れる。ここで私の旅は終わりを告げた。海水は、完治していない皸にしみる、手厚い祝福であった。
夕刻、ホテルの屋上にある小さなジャグジーで、長旅の疲れを癒している。パースでは、日本人を多く見掛けたが、ここにはいない。左側には白人夫妻。右側には青い目の若い女性2人組、5人で身を寄せてスワン川に落ちる夕日を一様に眺めている。20世紀最後のサンセットである。ジャグジーを出るとき、私は皆に声をかけた。
「ハッピーニューイヤー。」
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