リメンバー’86
「清原になれるか、桑田で止まるか」
ゴールデンルーキーが鳴り物入りでプロに入り、2選手の1年目を揶揄した言葉が残った86年。
しかし、その後の2選手の活躍(というより存在)ぶりはここで説明するまでもありません。
客車急行「アルプス」が片道夜行で走ります。概出ながら86年当時の1枚。
さて、その年以来の乗車チャンスがめぐってきました。
じっさい乗車すればカオスのうえ窮屈であり、耐久レースみたいなただ漠然としたものでなるであろう。
梅雨時で天気もあまり期待できませんがそれなりに楽しもうと思います。
例えば、自らを80年代にタイムスリップして、
①髪型は前髪片側立ち上げ、もみ上げを剃る。テクノカットといいましたっけ。
②チェックのシャツと太股部の広い裾の折り返したボンタンと呼ばれた様なズボン。当然シャツの裾はズボンに入れる。
③派手な靴下にコンバースのデッキシューズ。
④多機能デジタルウォッチとウォークマン。カセットは80年代のポップス満載で。
あと何かありましたっけ?
勇気を持ってこんなファッションで乗車できれば神でしょう。ただ列車を下りれば浮いた存在になりかねません。でも④くらいは実践したいですね。
正直、あんまりよい年ではなかった。できればリメンバーはしたくない。
「マルビ」だったので上記の「ナウな」ファッションはとても出来ず、学生服があってよかったという位親から買ってもらったダサい服ばかりだった。
沢山いたアイドルにも興味が沸かなかった男子校の自分には異性との交流など夢のまた夢であった。
時代も決して良いものでもなかった。人と違う事をすればダサく、叩かれるというのが筋。
大の大人、いや高校生以上が鉄道車輌にカメラを向けるという行為は「ネクラ」趣味と断定された。
ともなれば80年代が今ならいったい自分がどういった生活を送っていたでしょう。
「平日夜は巨人戦見て、休日は競馬かパチンコ、たまに愛車コロナでゴルフ」
ありえません。絶対ムリです。まったく「冗談じゃナイヨ。」
人気タレント(後の映画監督)が子弟(うち一人は現在知事)を連れて暴力目的で雑誌社を訪れたニュースで締めくくった年。
その時代の「良い部分」だけを切り取ってどっぷりと思い出に浸る、のがマイブームですか。
せっかくなので類似写真でも貼り付けておきます。
89年9月。北大町通過する91号。
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コメント
ちぇ、ちぇっかるずかしーしーびー・・・orz
そんなカッコしてきたら、正面に座ったヒト、おかしくて一睡もできないでしょうが。
・・・あ、カオス列車だから構わないのか。寝る「バカ」なんていないってか。(笑)
投稿: ともぞう | 2009年6月 3日 (水) 10時12分
ほ~ら、頭の中で「涙のリクエスト」がエンドレスで。
ポイントカラーヘアでCCB。
無理ぽ。
そんな服、どこにも売っていません。
投稿: 二足歩行 | 2009年6月 3日 (水) 12時34分
竹下通りにはまだ売っている…カモ。
投稿: ともぞう | 2009年6月 3日 (水) 14時36分
おぉ~、竹の子ファッション。ナウいゼベイビー!!
ヘイ彼女!お茶しない!?
投稿: 二足歩行 | 2009年6月 4日 (木) 12時44分
マジソンスクエアーのバックってその前?
メンズビギ、メルローズなんかカナ?
竹の子なのかロカビリーなのか?
年取ったね、思い出せない。
投稿: ondeko7f | 2009年6月 4日 (木) 13時09分
こりゃまた難しい質問を投げてくれましたねぇ。
結局調べてしまいました。アレは70年代だそうです。そういえば清里で結構見かけたような。
マジソンバックやブルゾン→竹の子→カラフルなアイドル系→渋カジ・DCブランドといった流れ?
縁がなかったので指導求む!!
貧乏人。
投稿: 二足歩行 | 2009年6月 4日 (木) 18時13分