三億円事件から40年
世間を騒がせた三億円事件から40年が経過した。「三億円事件を追う」といったタイトルを書きたかったが袈裟なのでやめといた。
犯人たちのアジトと噂された府中団地にも住んでいた。当時成人であいれば間違いなく警察からお呼びがかかったであろう。
マスメディアからの媒体等を参考にして、現金輸送車と犯人の経路を辿ってみよう。
まず、国分寺駅北口日本信託銀行前。トランクに現金を入れたセドリックは交差点を左折し、中央線のガードに向かう。
少し前を犯人の乗るカローラが先行する。
ガードをくぐって直進し坂を下る。当時からの建物が残る。
野川を渡って道なりに南下。府中方面へ2台の車は走る。
栄町交差点。 まだ東八道路はなかった。先行するカローラは右斜め前の側道へ、後ろを走るセドリックは直進。
この付近で犯人はカローラをから偽白バイに乗り換える。現在は住宅地だが当時は空き地だった。たしか70年代中旬くらいまで空き地だったと記憶しています。
この道を偽白バイは学園通りへ向かいます。現在は一方通行の逆走になります。
明星学園交差点。ここで現金輸送車は右折し学園通りへ出ます。
最初の信号で右方向から偽白バイが現金輸送車を待ち構え、後を追います。
おなじみの場所。ここで事件はおきました。現在「塀」も建て直され、監視小屋もなくなりました。
人を傷つけることなく現金輸送車を強奪した犯人は次の交差点で右折、府中街道を恋ヶ窪方向へ車を走らせます。 当時西国分寺はまだありませんでした。
現在のデニーズのある交差点でしょうか、右折して路地へと入ってゆきます。
まもなく左折。この道でしょうか。
さらに右左折を繰り返し、国分寺跡地に着きます。
この場所に逃走用に用意した別のカローラに乗り換えて現金共に東へ向かいます。
狭い道を走り、突き当たり左折します。
すぐに右折します。
当時右側に駐在所のあった東元町の交差点を左折し、国分寺方向へ向かいます。
逃走車が小金井市内で発見されたのは、数ヶ月後のことだった。
事件がおきたその頃に学園通りも電話線が開通した。電柱に貼られた愛称が永らく「三億」であったが電柱の交換とともに現在は変更されている。
府中高校付近にも古い電柱が残っていたが、愛称が消えてしまっていた。
犯人(たち)は数多くの証拠品を残し、ここまで明確な逃走経路までさらけ出している。
警察は威信をかけた。
それでも犯人逮捕につながらなかったのは、あいまいな捜査や出鱈目なモンタージュ写真等が決定付ける上層部のお粗末としか言いようがない。
その後捜査がデジタル化されたとはいえ、桶川や栃木の事件などでもお判りとおりまだまだ頼りにしてはいけない存在かもしれない。
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コメント
小平の父親の寮にも聞き込みが来たそうです。どれくらいの警官が動員されたんでしょうね。
当時成人だったら自分も間違いなく呼ばれると確信してますけど…(笑
投稿: FM | 2008年12月16日 (火) 13時23分
やはり、「高飛び」して身を潜めて逃げ切るには億単位の金がないとなぁ…
投稿: ともぞう | 2008年12月16日 (火) 14時56分
FM君
もう少し早く生まれていたら警察に間違いなく「クロ」として扱われただろう。君も僕も。
ともぞう氏
ワイハにしますかベガスにしますか?それともマカオかマニラか?あぶく銭ですから。
投稿: 二足歩行 | 2008年12月16日 (火) 18時41分