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2007年9月29日 (土)

常紋峠・挑戦2004

夏が近づくとどうしてもこの場所に足を運びたくなる。これもこの地で眠る先人からのお誘いであろうか。
前年の運休の悔しさもあり、8月末に少し休みを取って朝一の飛行機で女満別に降り立つ。バスを乗り継ぎ北見へ。
いつものスーパーで弁当を買い、いつもより一本早い列車で現地へ。留辺蘂で下車。ここの公園で急いで食事を済ませ、下り貨物の撮影をする。
その後、いつもの金華行きに乗り込み終点金華へ。他に乗客はいなかった。
早速イヌたちの歓迎を受ける。砂利道を峠に向かって歩けば一頭のポニー君が。人懐っこくとても優しい目をしている。短い時間遊んでしまった。
Fh000003 別れは惜しいが、峠に向かう。ずっと自分の後ろ姿を見ている。辛いので勘弁して欲しい。
国道を右に折れ砂利道を歩く。3回目となれば通いなれた道。タオルを頭に巻いて耳を覆えば虫もうるさくない。リュックには熊避けの鈴が鳴り響く。
途中の倒れかけたカーブミラーもそのままだ。歩き続けると少しずつ上り坂の辛さを感じる。並行する同じ坂道をDD51が重い貨物を引いている。頑張らねば。
やがて左右に分かれる。いつもなら右に曲がってそこでカメラを構えるのだが、今日はそのまま山道を歩く。ここから先は初めてである。森が深くなり、足元がぬかるんできた。
右側の視界が開けてきた。そこに向かって進む。構築物が見えてきた。ついに信号所に辿り着いた。廃止になった線路に腰を下ろし休憩する。じっとりしていた汗がスーッとひく。
三脚と望遠レンズをセット。何本かの列車を見届ける。以前とダイヤは余り変わらないがどの列車もエンジン全開で向かってくる。
午後3時。轟音を響き渡らせながらゆっくりと重連の貨物列車が通過する。シャッターを押し、機関士と挨拶を交わし列車を見送る。Fh000006 機材を仕舞い下山する。夕暮れ時である。山は日の入りが早いので急がねば。
その後、多分バスに乗って生田原に向かった。
左足の裏が痛い。前の日歩いた時痛めたか。
翌朝生田原で自転車を借り、峠に向かう。交通量のきわめて少ない道は気持ちいいが、だらだら上り坂は徐々にひざを重くする。
釣堀付近よりダート道に入る。パンクしてはいけないので慎重にペダルをこいでゆく。じっとり汗が出てくる。踏切の手前でライダー氏と出会い、自分もそこで撮影する事にした。
彼は自転車で来た自分にまず驚き、ここの貨物列車はどんなものかと尋ねられる。現物見て欲しいから時速15キロくらいでゆっくり通過しますとだけ答えた。
列車の通過時刻が近づいてきた。まもなく静寂を破ってゆっくりと貨物列車が通過。シャッターのタイミングが少し遅れ、失敗。Fh000008
この迫力には鳥肌モノだ。隣のライダー氏も鳥肌をを立てていた。
2本目を撮影するため別の場所に移動する。列車が来る頃は撮影者が5人になった。上で藪を掻き分ける音がする。動物でした。
轟音とともにゆっくり列車は通過。他の3人はそそくさと車に乗り込んで行ってしまった。追っかけ行為だろうか、折角ここまで来てそんなことして何が楽しいのだろうか。
さらにその日は上り便、最終日も飛行機の時間ギリギリまで撮影でき、満足して帰宅の途についたのはいうまでもありません。
翌日からしばらく、地獄のように仕事に追われました。これもトンネル労働者たちの怨念だろうか。

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2007年9月28日 (金)

最も安い弁当?

セイコーマートの100円(税込み)焼きそばシリーズです。あんかけ焼きそばを購入。20070817175011
SHOP99は税込み104円ですから、お値打ち度ではセイコーマートに軍配があがります。
安いからといってマズいという事はありません。でもさすがに量は少なめです。
東京界隈には店舗ほとんどありませんので、北海道旅行中に小腹が空いた、あるいは金欠&空腹の時役立ちそうです。
ちなみにこちらがSHOP99の焼きうどんです。20070927221403 矛盾ながら50円引きになっていました。

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2007年9月27日 (木)

常紋峠・挑戦2001

2001年8月、レンタカーでの北海道。天気はイマイチだったが楽しいドライビングで生田原ノースキングに宿泊。ロビーはいつもにぎやかである。
昨晩早々と床についたおかげで目覚めは良い。カーテンを開けると青空。前の芝生の土手に「いくたはら」の文字が見える。
時計を見るとまだ6時、少し早すぎたようだ。時計にチューナーがついているものの、こんな田舎町ではFM放送など入るはずないだろうがとりあえず回してみた。
クリアな音質で「ジョアンナ」などオールディーズがノンストップで耳に届く。一日の始まりにふさわしい。続いて眠たくなるような甘いボーカルのかつて聞いたことあるアコースティックな曲がかかる。気になって頭に残る。
こうして音楽に聞き惚れている時も、列車は北見峠を越えた付近であろうか、確実にこちらに向かっている。
7時になった。食堂に足を運ぶ。大きなガラスからのさわやかな朝日が眩しい。すぐ横の線路を峠に向かってエンジンを吹かして列車は発車していった。
しかし感激している暇なく食事を済ませ、車に乗り込み峠へ向かう。踏み切りを渡りしばらく走ると釣堀、そこからダートになる。列車の時間が近づいているがスピードどを落として進む。
途中、道が悪く足をとられそうになる。スタッグしたらまず助けは来ないだろう。エライ所に来たものだ。すっかり人の気配のなくなった所に踏切がある。ここで車を止め構える。
しばらく待つ。沢の音しか聞こえない。ガサガサと草を掻き分ける音がする。動物であろうが熊ではなさそうだ。しかし朝かかっていた曲はいったいなんだったであろう。
まもなく、遠くで激しいディーゼル音がこだましてきた。「来た」徐々にそのディーゼル音が近づく。レールがきしみ、踏切が鳴る。静寂をかき消し頭にかかっていた曲もかき消された頃DD51重連貨物が姿を現し
ゆっくりとこちらに向かってくる。引っぱってシャッター一発。機関士と手で挨拶をして列車の通過を見送る。Dd511167 貨車の乾いた音が過ぎればまた静寂に戻る。ただ心拍数は上がったまま。
また車を走らせ、町へ戻る。足をとられぬように走行ラインを選び、やがて舗装道路に。
午後、折角なので信号所へ。金華からダート道を走ればアッと言う間に着いてしまった。鉄道ファンの学生が2人居た。クルマは便利だが、現地についてもイマイチ実感が沸かない。
おなじみの迫力を堪能しながら撮影を楽しむ。Dd51 手を振ったら機関士は大きく振り返してくれた。先客のうち1人が「動画を撮っているので動きまわらないで」とお願いされていたことを忘れてしまっていた。

帰京後、機関車好きのOndeco7f氏に手持ちのPHSのボイスレコーダで録音した音を聞かせてみた。
しかし残念ながらその迫力は伝わらなかった。
ずっと疑問に思っていたその曲がブレッドの「イフ」であったことは何年も後のことであった。この曲を聴くと、激しいビート音を響かせるDD51を連想させてしまう。

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2007年9月25日 (火)

国分寺・スタミナ飯店(すた丼)

mixiをいじっていた。友人の友人などのプロフィールをなぞっていて目に止まった。
ある男の「趣味:旅行・○○・食い倒れ」である。この趣味=食い倒れの定義が理解できない。
些細な文章だけに余計考えさせれれる。食い倒れといえば大阪。ならば趣味は旅行、特に大阪。食い倒れなどうまいもの巡り。と書くだろうし、
それとも「飯食ったー!倒れたー!」というレベルなのか。でもそれって趣味?2日間頭の中でスパイラルが続いた。

20070922222656 腹いっぱい食べられる店、すた丼。店舗は国分寺のほか国立、小金井や都内にもあります。
すた丼(玉子味噌汁付)にサラダと餃子3粒が付くEセット700円を券売機で購入。
威勢の良い掛け声を浴びながら店に入る。25人くらいの席数に客ゼロ。初めてです。
まもなくして次々に客が入ってきました。誰もいない店内は単なる偶然みたいです。
さっそくお店の兄さんがフライパン片手に豚肉を炒め始めました。待つ事10分、まずすた丼から。20070922221333
硬く炊いたご飯の上に海苔、そしてスタミナ焼きが載っています。肉はやわらかくニンニクが多めです。
玉子をといてかければ味もマイルドに、ついでにご飯もやわらかくなります。20070922221542 サラダはコーン入り生野菜。餃子はやや小ぶりです。
久々に食べて満腹、いや少し量が多かったかもしれません。
大食漢の人は大盛?を頼むとよろしいかもしれません。ラーメンの丼に盛られています。
少しはパワフルに見えるようになったでしょうか。しかし結果、体重1キロ増。そうだ、もうすぐ健康診断だった。「 ま た や っ ち ま っ た ・ ・ ・ 」

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2007年9月22日 (土)

また自分の写真

最近運動しているにもかかわらず体重が増加傾向にある。裸で58キロと数百グラム。健康診断が近いというのに困ったものだ。
そんな事はさておき、またある雑誌に集合写真で自分の写真が載ってしまった。
前回の失敗があるため写真撮るとき表情に気を使っている内、気づけば「大きい」メンバーにとり囲まれてど真ん中。
という訳で一層小さく見えてしまう懸念があった。
期待半分怖さ半分で本を開いて写真を見ると、それほど遜色なく溶け込んで写っていましたので少し安心です。
いわば「本線用大型機関車と機関区で憩うDE」位の存在感でしょうか。

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2007年9月21日 (金)

201系T16(T116)編成

昨日、201系のT116編成、元T16編成が廃車のため長野へと回送された。
T16 T16編成時代の写真。西国分寺にて。
T116 T116編成。三鷹駅にて撮影。遭遇率が悪く写真少なかったです。

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2007年9月20日 (木)

常紋峠・挑戦

DD51の重連貨物列車が走る石北本線。
北見駅で発車風景を見て、更に数年が経った1994年。自分の車で北海道を回った時、留辺蕊ユースホステルに宿泊。
ペアレントさんから話を聞いた。
「ここから遠軽方面に行くと金華という町をすぎて国道は線路から離れるけど、線路沿いの細い道を行った先に鉄道トンネルがあります。ちょっと車でないと行けないかな。」
「建設時に強制労働で多くの人が犠牲になり、今でも線路の下に・・・」間違いなく常紋トンネルの話だ。
「金華駅近くや、他にも慰霊碑があります。もし時間があれば見に行ってはいかがでしょう。」
「トンネルが狭いので、作業員を退避させるスペースが必要らしく、作業員が部分的に広げるために側壁掘ったら人骨が出てきた。驚いた作業員たちは大慌てで夜のうちに車飛ばして旭川まで逃げた。」
「夜行列車がトンネル手前の信号がずっと赤のまま発車できず、無線で確認しても異常なし、・・・」
古い記憶で定かではないが、常紋トンネルにまつわる話を秋の夜長、更けるまで伺った。
しかし、一番良い季節、車であるにもかかわらず、鉄道に余り興味が無いので足を運ぶ事は無かった。

さらに数年が経った2000年夏、観光地もあらかた巡った事だし、思い切って常紋に向かうことにした。
午前、北見駅ではコンテナの積み込みを行っている。駅近くのスーパーで弁当を買い、水が無いのでとりあえず駅トイレで補給する。
12時9分発の金華行きに乗る。車内で食事を済ませ、終点金華駅で下車。他に客はいなかった。駅には水道も無かった。
駅を出る。駅前は廃墟の様だ。何匹もの犬たちが凄い形相で吠えてかかってくる。国道に出て北へ向かって歩く。すぐ横をクルマが高速で走り去る。操作誤ってぶつかれば命は無い。
やがて、「常紋方面→入口」の看板、そちらに足を進める。クルマの恐怖から開放される。
細い砂利道、すぐに林の中、こんどは小さな虫が周りを飛び回る。うっとおしい。
しばらく歩くとふた手に分かれる。ここを右に下りれば線路に出られるのか?下りてみた。廃墟の先は藪につつまれ進めない。戻って左へ、ひたすら歩く。林が深くなる。右に川が近づいてきた。列車の音がするので線路が近い。
やがてまた道はふた手に分かれる。右に下りた先は線路が見える。ここで右に下りて列車を待つ事にした。
しばらく待つと、生田原側から1両のディーゼルカーが音もなく通過。今度は反対方向から2両のディーゼルカーがエンジンを唸らせゆっくりと上っていった。列車が過ぎると沢の音しか聞こえない。
特急が轟音とともに走り去る。また静寂に戻る。暑い。飲物は飲み干してしまった。トイレで汲んだ水だけは手をつけたくない。
時間が近づいてきた。遠くで芝刈り機のような音が聞こえる。近づくにつれ回転数を上げたディーゼル音だとわかった。まさかである。レールがきしむ。確実に列車はこちらに向かっている。
広角レンズでカメラをスタンバイ。そして爆音とともにゆっくりと列車は目の前に姿を現す。シャッター一発勝負。
Img_0034 機関士と目が合う。会釈をしたら手を振ってくれた。乾いた貨車の音が響く。通り過ぎた列車は警笛を鳴らし、また静かになった。しばらくその場にしゃがみこんでしまった。
薄暗い山道を歩いて駅に戻る。下りなので比較的楽だ。どうにか無事に駅に着いた。すっかり夕方になっている。

旅先での大切な時間をこんな事の為に半日潰してしまった。しかし肌身をもって北海道の大自然と現実を味わう事が出来た。そして、30代の幕が開けた。

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2007年9月19日 (水)

常紋峠・序章

かれこれ20前くらいであろう。ずいぶん昔の話である。ある鉄道雑誌でこんな内容の記事を見つけた。
「石北本線に臨時ではあるが2往復の高速コンテナ貨物列車が設定されている。DD51が重連で人が歩くほどの速度で2つの峠に挑む姿は圧巻である。」
しばらく経った頃、貨物時刻表を買い求め、ついでに石北本線を調べた。2往復、確かに設定されている。
しかし峠道は山深く交通の便悪い所、高校生坊やの足で行ける場所ではなさそうだ。
その年北海道に行ったが全てが新鮮で貨物列車を見る余裕など無かった。

数年が経った。学生最後の夏休み、やはり北海道旅行をした。テツ辞めていたが、かつて貨物時刻表の「北見13時46分(たしか当時)」という時間が頭の中に残っていた。
たまたま北見にいたので半信半疑で見に行った。
DD51のプッシュプルコンテナ列車が発車していった。本当に走っていた。
Img_0018 折角の試験塗装、当時の腕前ではこんなにひどい写真で恐縮です。

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2007年9月18日 (火)

代々木・梅もと

都内中心にあるごく普通の立ちそば店。文章が危険ですので状況によっては削除するかもしれません。

「プロ野球選手並の収入に挑戦」ある求人広告に載っていた。「学校見学の案内をするだけ」だったかの仕事内容が怪しい。未経験者でも出来るところが更に怪しい。いずれ自分とは縁が無い業界である。
泉の時に少し触れた教材販売という仕事が、ここの常連さんの質問にあったが口頭ではうまく説明できなかったので書いてみます。
そもそも入社したワ社が業績不振で親会社コ社にいったん吸収され、それから代々木生活が始まり半年くらいで業績不振でまた別の子会社S社に引き渡された、そこも代々木でという過去があります。
そのS社において、アルバイトたちが北関東や甲州地方の進学校の名簿を片っ端からなんとも紛らわしいアポトークの電話をかけます。その内容とは「○○塾と△△予備校(いずれも大手予備校)の□□(教材名)です。-中略-、お友達の××さんもやっています。只今指導担当の先生が近くを回っておりますのでお話だけでもいかがでしょうか。」
ここで出てきた大手予備校はそこの講師がビデオ教材に登場するだけでS社とは何の関連もありません。お友達の××さんも名簿から適当に言ったものです。「指導担当の先生(ただの営業)」も電話口のすぐ横にいます。
相手が「話だけでも」とOKを出せばたとえ夜だろうと北関東や甲州方面へと馳せ参じる。2ヶ月間契約ゼロなら首なので皆必死だ。自腹で現地に向かえば時には深夜まで粘ってでも契約をとる気持ちでいる。折角行っても玄関口で追い返されることもしばしば、さすがに少し可哀想である。
逆にひと月2~3件契約でノルマ達成それ以上なら売上額に応じて手当ての比率も上がる。「プロ野球選手並の収入」が手に入るのである。まさか自分がこんな世界にいた事かを思い知った。ちなみに求人広告を出していた会社は同業他社であった。
なので受ける電話は解約に関するクレームと借金取りからばかり。
そんな会社でも売りっ放しの教材(モノ自体は悪くない。ただバカッ高いだけ)では勿体無いので自ら客(受講生)との電話FAXを使ってのサポートを立ち上げたM先生。一流私大を卒業し塾を立ち上げたものの病気で入院中に後輩の講師に受講生全て持っていかれてしまった、という人でした。
数少ない頼りになる人でした。
そんなM先生とカネ無い同士よくこの店で昼食を共にしていました。まだまだ書き足りませんが前置きはこの辺で終わりにしておきます。

20070911120306 代ゼミ本館に隣接しています。お店の作りは昔のままですが、券売機があります。
冷やしそばとカレーのセットの食券を購入。しかしすっかり顔見知りになったおばさんはもういません。
今日は玉子サービスデーだそうです。経験からするといつもサービスデーみたいです。
Soba 麺やわらかく味付けは濃い口、カレーはそれほど辛くはありません。当時を思い出しました。
今日がもう少し涼しければ好んで食べていた梅もとのラーメンを食べたかったです。
浮き足立つ自分の心にブレーキをかけてくれる店、なのかもしれません。

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2007年9月14日 (金)

Bトレイン ベストリピート5を買って

Bトレファンの皆様こんにちは。普段開け売りばかり買っているので久しぶりに(今さら)BR5で運試し。
改造ベースに使うので何が出てもかまいません。逆に色が揃うとかえって困りものです。2つ買って同じ色が出る確率ってどの位なのでしょうか。B1
ちょっとワクワクします。右の白山の中間車は箱無しで売っていましたので、ついでに買いました。
開けてみると・・・B2 キハ28弘前色、キハ28レインボーでした。両方キハ28とは狙い通りでした。
弘前色はちょっともったいないですが、来週まとめて塗装ひっぺがします。

かわいそうなBトレイン達よ、私に買われたのが運命だとあきらめてくれ。

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201系T15(T115)編成

昨日、201系のT115編成、元T15編成が廃車のため長野へと回送された。
T15 T15編成時代の写真。まだ寒い季節でした。
T1156 通勤特快運用に就くT115編成。いずれも中野駅にて撮影。

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2007年9月13日 (木)

1993・おおぞら13号

9月15日祝日、高架の札幌駅。1階改札の向かいにベンチが漠然と置いてある待合スペースがある。
当時まだ喫煙できる場所だったかもしれない。旭川で風呂を浴びて列車を待っている身分とすれば煙はなるべく浴びたくない。
発車は23時(だったと思う)。まだ1時間近くもあるが、空気が悪いので改札抜けてホームに上がる。
乗車番線の片隅にあるベンチで時間をつぶす。利尻とはまなすはそれぞれ目的地へ発車した後だがあまり鉄道に興味がないので構わない。
待ちくたびれた頃、くたびれた電車が目の前に停車した。「クハ711-902」試作車だ。興味はなくなったとはいえ記憶は定かである。
運転席が乗務員がくたびれて降りてきた。停車時間に一服してまた乗り込んで発車していった。また1人になってしまった。
まもなく列車は小樽方向から入ってきた。旭川方向から入ってきたと感じるこの駅はどうも方向感覚が狂う。
しかし先頭のキハ183-500番台系列は国鉄末期に民営化へのフラッグシップモデルの様な存在であった。それが夜行とはいかに、複雑な気持ちである。
さらに色の違う寝台車を真ん中に2両挟んで、現物を見て少々カルチャーショックを受けた。
指定席に乗り込む。当然の如く普通のリクライニングシートである。数年前の「まりも」指定席よりも劣る。料金だけは特急なのに。
列車は時間通り発車。エンジン音はさほど気にならない。
夜景を楽しむ記憶なく旅の疲れで眠ってしまった。
新得で列車交換。寝ぼけ眼である。
デッキのドアの開閉で目が覚める。列車は帯広に到着していた。停車時間を利用してホームに下りてみる。寒い。改札に足を運ぶ気力はないので車内に戻る。
ヘッドホン式カセットデッキのチューニングをいじる。音楽がかかっている。「心の旅」であった。深夜にチューリップの曲も悪くはない。
「青春の影」でジーンと来る。されにセルフカバーで聞きなれた「さぼてんの花」がかかる。アコースティックなサウンドが寝ぼけた体に染み渡る。
景色が動き始めた。この曲をBGMに帯広を後にした。感動指数が上昇している。
ひたすら闇の中を列車はゆっくりと走る。その間もチューリップの曲は何曲も続く。DJが「いいですね~。」と感慨深そうに話す。また曲が続く。
雑音が入り始めた。そろそろ電波が届かなくなってきた。まもなく池田である。残念ながら今は停車時間はあまりない。
池田を発車。空が青くなってきた。明けの明星であろうか。星が輝いている。
海岸線を走る。青空である。しかし海岸線を離れると霧が濃くなってきた。原生林の中を走っているようだが遠くがあまり見えない。
車内に目をくれる「キハ182-12」のプレート。自分の周りに乗客は少ない。白糠着。斜め後ろに座っていた女性2人組が下車。ついに自分の周りには誰もいなくなってしまった。
しばらく霧の中を走る。並行する国道もよく見えない。しかし時間通り6時釧路に終着。
寝不足は辛い。気動車が原因だと思い込んだ。

数時間が過ぎ、その日宿泊のユースホステルに着く。いろいろな人と仲良くなった。
睡眠をとればこの列車で釧路に向かったこと、この時仲良くなった人のことはとても楽しい思い出になった。
そして「テツ」に逆戻りした自分がいた。 Photo写真は1995年7月にあらためて撮り直しました。

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2007年9月12日 (水)

ちょっとしたチャレンジ

前から気になっていたのですが、時刻表の路線図や地図を見ると、近畿~中国地方を太平洋と日本海を結ぶ路線、つまり中国地方を南北に結ぶ路線が結構あります。
それらを順に乗り通してみようかと計画中です。年もトシなので、のん気に出来るのは体力的にもそろそろ限界でしょう。

とはいえ、乗り潰し派ではなく、一筆書きで乗り通す程堅苦しくするつもりはありません。
東京から何回かにかけて時間ある連休(つまり青春18きっぷなどが使える間)にやってみようかと思います。

でも今度の3連休には間に合いそうにありませんので10月からでしょう。
とりあえず、福知山~加古川~山陽~播但~山陰~因美~姫新で攻めてみようかと。
西日本に関しては素人同然です。常連さんアドバイスありましたら助言願います。

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2007年9月11日 (火)

19時29分松本発

甲府行きのこの列車は何の特徴も無いごく普通の列車である。
ただその日のうちに普通列車で都内に戻れる最終列車であるので甲府行きであるがあえてタイトルに行先を入れませんでした。
列車は長野を18時4分に発車しております。かつての442Mは18時31分発ですので、その名残でしょうか。
442Mであれば、新宿まで乗り換えなしで帰れました。ただ明日の朝帰りになってしまいます。
松本にやってきた列車は諏訪湖花火大会があるため6両編成。普段は3両みたいです。
Photo 乗車。1人なのでロングシートに腰掛ける。席がだいたい埋まった頃発車。南松本、田沢・・各駅に停車していくうちに客が次々下りてゆく。
塩尻を出る頃には1人1ボックスになっている。岡谷を過ぎ、右側に諏訪湖が見える。道路が濡れているので雨の様だ。
湖から花火が上がる。一瞬空全体が明るくなる。花火が次々にあがる。車内では子供たちが歓声を上げる。
旅の疲れが癒される。下諏訪にて臨時の201系と交換。花火見物客で満員だ。
上諏訪へ。花火の輝きと音が車内にまで響く。上諏訪でたくさんの乗客が待ち受けていた。列車はかなりの混雑で発車。しかしその賑わいも束の間。
富士見辺りまででまた空いてしまった。富士見で後発のスーパーあずさをまつ。小淵沢を過ぎ、韮崎付近まで車窓もほとんど真っ暗。駅にひとつひとつ止まり、しかも車内も単調でさすがに苦痛でした。
やがて左側に夜景が見え、ちょっと安心しているうち21時31分甲府に滑り込んだ。
乗り換え時間の間にトイレを済ませる。車内にもトイレはついているが用便は落ち着いてやりたい。
Photo_2 (高尾に到着した時撮影)ロングシートに腰掛け、21時36分高尾に向けて発車。甲府を後にする。
車内は座席が半分埋まるくらい。予想以上に乗客が多い。
かつての442Mは甲府を1時10分に発車した。時計を3時間半遅らせて夜行列車気分を楽しむ。
塩山辺りで車内も落ち着いてくる。右側の夜景を楽しみ、勝沼駅へ。442Mはこの駅を通過していた。
いくつものトンネルを抜けて大月へ。しかし停車時間は短い。
律儀にひとつひとつ駅に止まってゆく。しかしここまで来ればなじみのある駅なのであまり苦痛ではない。少しづつ乗客が増えてゆく。駅到着のアナウンスは夜行でも行われていたのだろうか。
相模湖を過ぎ、小仏トンネルを抜け高尾にさしかかる。山を下りた妙な安堵感に包まれる。
高尾到着。時計を見ると2時半だ。戻すと23時ちょうど。442Mはこの駅を3時12分だったはず。
ここから最終ランナーは201系。若者たちや帰宅サラリーマンの姿が自分を現実へと引き戻す。
201 国分寺23時25分着。ここで下車。このまま新宿まで乗車しても23時51分。その日のうちに到着できます。

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2007年9月10日 (月)

長野・響(ラーメン)

「特攻野郎Bチーム」の皆様、リンクありがとうございます。
常紋峠をアップする予定でしたが変更いたします。
長野駅から長野電鉄で2つ目の権堂駅。そこのアーケードを善光寺方向に歩いたところにあるそば店。Photo
ラーメン店であるものの、丼ものも充実しています。というわけで、
「響そば(半ラーメン)とソースカツ丼」と欲張らせていただきます。
待ち時間およそ15分。その間に店は満員になりました。
20070901120620 まずはソースカツ丼。長野県の名物です。やわらかいカツ全体にソースがいきわたっております。マスタードで辛味をつけます。
千切りキャベツと海苔の下のご飯もしっかりしています。
Photo_2 続いてラーメン。ぶれてしまってすみません。麺は太く、かなりこってりなスープです。チャーシューの他に焼肉がのせてあります。シャキシャキもやしが印象的でした。
痛風やメタボリックを気にしない方や無縁な方にオススメです。

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2007年9月 7日 (金)

201系T24(T124)編成

昨日、201系のT124編成、元T24編成が廃車のため長野へと回送された。
嵐の中であるものの、最後の旅を終えたそうです。

T24 国分寺駅に進入するT24編成時代。
T12412 T124編成。三鷹。

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2007年9月 6日 (木)

苗穂駅前・蔵の湯

苗穂駅前にいつの間にかオープンしていたスーパー銭湯。駅改札にも案内があります。20070818194626
しかし少し離れた場所に大型ショッピングモールにスパ施設がオープンしたので少し心配です。
午後7時、大きな駐車場はほとんど埋まっています。Photo
中に入るとロビーにたくさんの人。レストランもあり、お土産も売っています。
券売機でチケットを購入。今まで最安の390円です。つまり普通の銭湯相場です。ここまで安ければ大丈夫でしょう。
脱衣所もにぎわっています。浴場へ足を運びます。
すっごい人の数。男湯だけでおよそ100人位います。
浴槽は、高温湯・低温湯・泡風呂・温泉の4つ。どれも7~8人入れるほどの大きさです。
サウナもありましたが中を見ていません。
洗い場は70人分!位です。シャンプー・石鹸類はありません。390円ですので仕方ないでしょう。
ガラス扉から外に出ると、露天風呂と洞窟風呂なるものがあります。
風呂をあがって駅へ歩き始めると、中学生のグループと同行になり、そのうち1人が携帯で
「もしもしお母さん、今みんなとお風呂入っていたからこれから帰る。」
銭湯は友人とのコミュニケーションの場にもなっています。

Photo_2 夜11時までやっています。ここでひとっ風呂浴びてから夜行列車に乗車してはいかがでしょうか。

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2007年9月 5日 (水)

北見・ちゃみせ(豚丼)

去年の夏、常紋での撮影のためお決まりのノースキングで宿泊し、撮影に向けての準備を整えた。
翌朝、雨も上がり出かけようとするとレンタサイクルが無いのである。全て他所に持っていってしまったとのこと。
困り果てたところ、親切に従業員氏が撮影地近くまで車に乗せていただける事に。
ローダウン車なのでダートに入れず下ろしてもらった場所は撮影地からは遠いが、雰囲気が出るポイントを見つけて列車を待つ。
しかし時間になっても列車は来ない。やがて迎えの時間になってしまった。
がっかりして宿に戻ると、前日の雨で全ての列車が運休になっていると聞く。
今日中に女満別から帰れなければいけないので、撮影どころではない。
結局路線バスをつかまえどうにか北見に辿り着く事ができた。
空腹を覚え立ち寄った店がこのお店。20070817114225
「ごめんねー。お店始めたばかりだからまだ散らかっていて。」ちょっと見俳優の拳さんに似た渋い感じのマスターでした。
常連と思しき客がテレビを見ている。ちょうど甲子園準決勝で同じ北海道の駒大苫小牧が勝利し決勝進出を果たし、盛り上がった。
折角なので便乗させてもらった。ここの豚丼を食べた自分は、ずっとこんな気持ち(´・ω・)だったところ少し慰められた。

前置きが長くなりました。今年も北見に行った時お店はどうかと心配したが、時間が早かったので客はいませんでしたが周囲を見る限り常連さんも多く繁盛しているようです。

お店の場所は駅から10分くらい留辺蕊方面に歩いた国道沿いです。

20070817120834_2 列車の時間があるので持帰りを頼みました。金華行きの車内で開くと、炭火焼の豚肉にししとうや紅生姜が彩りを添えます。
味は濃い目のタレが肉に広がり、下の飯にしみこんでいます。炭火で焼いてますのでちょっとこんがりしていて美味です。
そういえば去年、件のマスターから「味はどうですか?こんなもんですか?」と感想を求められましたが、この味から自信の表れだったのでしょう。
スタミナをつけて念願の常紋峠にむかいましょう。
常紋峠は来週以降に書き込みます。

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2007年9月 3日 (月)

201系H15(T110)編成 最期の活躍

先週の木曜日、201系のT110編成、元H15編成が廃車のため長野へと回送された。
H15 多摩川鉄橋を渡るH15編成時代。まだ寒い季節でした。

さて、諏訪湖新作花火大会が9月1日に行われました。その観客輸送に臨時列車で活躍しました。
長野からの送り込み。姨捨でE257系に出会う。Photo
T編成(貫通編成扱い)でありながら4両と6両に分割。久しぶりに前に出る運転台。Photo_2
「長野からスクラップになるのをもってきたんだよ。」と駅員さんが親切に教えてくれました。
4両編成の方の方向幕はご覧の通り。Photo_3 夜見たときは「ナイヤガラ」になっておりました。

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