アルプス11号・1984
これは1984年の8月21日に乗車した時のレポです。古い記憶と旅メモを頼りに記入していますので、曖昧な部分があるかもしれません。
すっかり夜行列車の虜になった自分は、その年の夏休みを利用して夜行アルプスに乗車する計画を立てた。
乗るならばやはり客車の59号。しかし多客期だけの臨時であり、貧弱な学生は新宿乗車時に間違いなく山男たちに潰される。
ではお盆を過ぎたあたりなら空いてくるはずなので「甲府2時」に魅力を感じて9号を選択。
ただ自由席が4両しかついていないので、諦め半分で11号にした。
当日夜、高まる感情を抑えきれず発車2時間前には友人引き連れ新宿駅に。3番線に列車が入線するが、駅員に尋ねるとぶっきらぼうに指示され2番線へ。まだ列にほとんど人はいなかった。
ひたすら待ちます。小田急デパート上の時計からようやく入線時刻が近づきました。貨物列車の隙間から3~5番線ホームを見渡すと、夜行列車揃い踏みで準備は整っております。
先発9号の列は駅員に連れられ階段へと消えてゆきました。(写真は9号) しかしこちらの列は動こうとしません。やがて9号は発車しましたのでソワソワしてきます。
やがて、ようやく駅員がやってきて列車まで案内してくれました。先頭車のドアが開き、中へ。デッキをぬけ、ずらりと並んだボックスシートが着席場所を迷わせる。
とりあえず車両中央付近の進行方向右側を選択。荷物を置いてホームで買い物。懲りずにクーラーボックスから缶コーヒーを買う。向こうホームの5番線には441Mが満員の乗客を乗せ待機している。
車内に戻って落ち着いた頃、静かに発車。ポイントを渡り、11両編成は摩天楼の下を走る。
友人がM・ジャクソンのカセットをかけてくれた。どうせ車内はすいている。
クーラーからの空気が少々臭うので窓を開けていたが、検札に来た車掌に閉めるよう言われた。
いかんせん遅いので、併走する緩行線の「各駅停車」にあっさり抜かれる。帰宅客で混雑しているが、次の駅で抜き返す。
日付が変わって8分後に地元武蔵小金井通過。ここまで来ると高い建物は少ない。いつしか車内も暗くなる。立川通過し、最初の停車駅八王子。ホームに人はいるが、乗る気配はない。
ゆっくりと高尾を通過し、いよいよ山へ。トンネルが続く。外は見えないが、台風が近づいているため雨が窓を叩く。
大月を過ぎ、笹子トンネルを抜けて甲府盆地へ。進行方向左手の夜景がすばらしい。
やがて甲府へ。しばしの休憩。反対ホームには上りアルプスが停車中。雨は止んでいるがホームはびっしょりぬれている。
甲府を発車。茅野まで止まらない。時刻表を見る限りでは「あずさ」より停車駅が少ない、が、遅い。外は見えないがひとつひとつジョイントを刻む音でその遅さが想像つく。
寝たのかどうなのかわからないまま列車は茅野、そして上諏訪に。停車中にホームに降りたが記憶にない。
上諏訪を発車し左手に湖を望むが真っ暗である。岡谷通過のポイントを渡ると列車は目覚めたかのようにスピードを上げ、豪快にトンネルに突入する。2両目の先頭車のメーターを覗くと100キロを指す。
トンネルを抜け席に戻ると、車窓に見える東側の山の稜線の角に「?(よくわからない丸いものの一部)」が見える。その「?」がすこしずつ大きくなる。どうやら太陽の様だ。
塩尻に11分間停車。空がじわじわ明るくなってくる。塩尻を発車。スピードを上げる。雲がかかった山の向こうから太陽が光を放つ。しかし空の上はいまだ満天の星空。真夏だというのにオリオン座が見える。
わずか数分であるが忘れられない風景になりそうだ。
やがて列車はスピードを落とし松本へすべりこんだ。乗り換え客や寝顔写真を撮るグループ、車内はにぎやかだ。そうしているうちに隣の線路に「ちくま」が到着。機関車の音がたくましい。
ここからは大糸線。4両編成の各駅停車となって身軽に走る。
すこし雲がかかる。駅間距離が短いのと、コスモスが咲いている、以外に記憶はない。 5時39分、目的地穂高に到着。降りたのは自分たちだけだ。スロープで列車を見送る。ありがとう、クハ169-19。
この時の夜行列車の旅は、膨らんだ期待を更に上回るものであり、その後いうまでもなく急行型電車が好きになった。
自分にとっての「夜行列車」のイメージは「目がさめると見知らぬ世界」ではなく「朝焼けのクライマックス」という観念ができた。
当時ヒットしていた曲を聞くとこの日の出来事を、そして今も新宿から中央線で下ると大久保付近に続く進行方向右手カーブ外側の鉄柵を見ると当時のワクワクを思い出す。
駄文長々お付き合いありがとうございました。お礼にHPアルバム予定用のまさにその日の写真も小さくですが貼り付けておきました。
追伸:その2年後、このスタイルの列車は中央線から消え、細々と残っていた「アルプス」も21世紀初頭に消えてしまった。
忘れかかった頃、リバイバルで運転された。
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コメント
・・・ヤバ過ぎます。危険です、コレ。(笑)
読んだそばから、その光景がリアルに思い出されてしまうのは、同じ「夜行病」にかかっていたせいか?!
私の場合は、新宿駅で駅員が乗客をホームで誘導中に、その列車のドアが開いてしまい、並んで歩いていた人たちが一斉にドアや窓に詰め寄って、戦争になってしまった記憶が残っています。
確か、まだ小学生だったなぁ・・・。怖かった、あれは。
それ以来、165系夜行アルプスは「窓から乗り降りするもの」という、変な概念が出来上がってしまいました。(笑)
朝焼けのすばらしさは、急行「津軽」で12系の窓から見えた奥羽山脈の景色が今でも記憶に残っています。
まさに吉幾三の世界です。(笑)
…これ以上書いてもキリがないので、この辺で止めておきます。(笑)
投稿: ともぞう | 2007年6月11日 (月) 22時20分
当時はホントに多くの夜行列車が走っていましたね。
深夜における移動は今より便利だったかもしれません。
そして、それぞれの人にそれぞれの思い出。
必死にこの時代を経験した我々は幸せなのかもしれません。
投稿: 二足歩行@やす | 2007年6月12日 (火) 16時10分