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2007年6月29日 (金)

201系T33(T132)編成

昨日、201系のT132編成、元133編成が廃車のため長野へと回送された。
中央快速線の201系も半分を切っているようです。貫通編成も後期製造の編成まで廃車になっています。
T33 中野でのT33編成。
T1322 三鷹停車中のT132編成。
いよいよ明後日7月1日から三鷹~国分寺間の下り高架線が開通です。切り替え区間では徐行運転が実施されています。
608 三鷹側の切り替え場所です。

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2007年6月27日 (水)

第1位・新幹線やまびこ

引き続き乗車回数第1位は新幹線やまびこです。その数22回、ダントツです。
最初は意外な結果に思いましたが、東北へ、また北海道へのアクセスあるいは所要で頼れる「アシ」として利用しています。
一番古くは82年7月一ノ関~大宮間に乗っています。部分開業まもない頃でまだ本数も少なくかなり混雑していました。
さんざん乗車したにもかかわらず、写真はこれこっきり。87年9月13日盛岡駅です。
Img_2 民営化当初は東日本のシンボル的存在であった200系2階建てグリーン車組み込み編成。100系の緑バージョンで目つきは悪いがスマートです。このスタイルは今でも自分にとって「ニュー新幹線」です。
その後MAXやE2系などが登場し、影が薄くなってしまいました。そしていつの間にかひっそりと引退していました。

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2007年6月26日 (火)

第2位・特急おおぞら

昨日の続きです。自分の過去25年の乗車数で2番目に多いのははこの列車です。12回乗車しています。
オホーツクといい、このおおぞらといいどちらも北海道の列車。東京の人間だというのに何でまた・・・。やはり、北海道内の移動に特急列車は欠かせないものなのでしょう。

Img_0028 残っている写真枚数からしてキハ183系時代に乗車回数を重ねていました。1995年8月の撮影です。夜行含む7往復を5編成でローテーションを組んでおりました。
そのうちの1編成だけどういうわけか札幌方に「ボウズ」といわれる100番台が先頭を飾っていました。
マニア心をくすぐる運用です。しかし自分にとってそれにあたるとハズレなのでうまくローテーションを読みながら乗車列車を選んだものです。情報の発達している現在であればたやすい事ですが、当時は勘だのみでした。
もっとも今であれば「ボウズ」君は大歓迎なのですが。Img_0035 1996年4月のボウズ君です。
夜行便の乗車レポはいずれアップします。
というわけでスーパーおおぞらは乗ったことがありません。

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2007年6月25日 (月)

第3位・特急オホーツク

以前、ある人といちばん多く利用した列車は何だったかという話をしました。
気になっていましたので時間をかけてできる限りの記憶をたどってみると、25年前までさかのぼる事が出来ました。
基本的に新幹線を含むJR(国鉄)線を走る愛称付きの快速以上の優等列車、という勝手な条件でエクセル表で集計をかけてみました。
つまり「きぬがわ」はカウントされ、乗車経験のある「大垣夜行」は対象外です。「ムーンライト」は「MLえちご」と一緒にしております。
記憶なので完全ではありませんが過去よりも最近の方が曖昧です。
Img_0033 この列車が第3位です。9回乗車しています。2000年夏金華~生田原間での撮影。
今度のダイヤ改正でこのタイプの先頭車の去就が注目されます。
こういうのをチラシ裏ネタというのでしょう。

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2007年6月22日 (金)

201系H5(T105)編成

昨日、201系のT105編成、元H5編成が廃車のため長野へと回送された。
E233系への置き換えで注目される中央線だけに、各雑誌でもとりあげられ、目にする機会が多くなっている。
ちょうど昨今発売になった趣味誌でも201系の特集で多くのページを割いて車両ごとの特徴や細かなスペックやら今後の動向まで
自分のような201系ビギナーとしては大変役立つ資料となりました。改めて筆者・協力者を見直すと・・・。あらら、非常に親近感のある名前が列挙されています。
T1052 T105編成。
H53 H5編成時代。ホリデー快速に充当された頃の留置中。
H5 西国分寺にて。降雪時の撮影は難しいですね。

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2007年6月21日 (木)

ロンドン発エジンバラ行き・2001

2001年の5月の連休、英国に行った時に足を伸ばしてエジンバラまで夜行列車に乗車しました。
写真からの記憶をたどっていますので、少々食い違うところがあるかもしれませんがご了承願います。

物価の高いイギリスでの宿代の節約と鉄道発祥の地での夜行列車、興味がわきます。トーマスクックの時刻表を見ても列車の愛称はありません。
ロンドンを精力的に動き回り、始発駅であるユーストン駅へ。Img_0014
出発までかなり時間があるので駅員に尋ねると、上野よろしく半地下ホームの片隅にある専用の待合室を教えてくれた。何もする事がないのでここで時間を潰します。
まだ誰も来ていません。2時間ほど一人でした。それから先発のインバネス・アバディーン方面行きの乗客たちが一組、また一組と部屋に来ました。
客層を見ると、レジャー・アウトドア派がほとんどでした。人なれした大きなイヌを連れた人もいます。
やがてインバネス・アバディーン方面の乗車のアナウンスが入ると皆待合室から去ってゆきました。最後にイヌを連れた夫婦から「乗車しないの?」と心配され、23時45分発のエジンバラ行きと伝えサヨナラし、また一人ぼっちになってしまいました。
それから小1時間、ぽつぽつと人が現れ、ようやくエジンバラ・グラスゴー行きが入線、乗車となりました。13両くらい連結され、先頭の機関車はホームからはみ出ています。雨が降ってきています。
列車は発車。2人用個室を1人で使用し、ドアにロックはありません。少し寒いです。
何度か目覚め、気がつけば外は明るくなっています。どうやら西側のランカスター経由で走っていた様です。
いくつかの駅に停車し、Carstairs近郊でしょうか本線上で止まってしまいました。Img_1
窓の外ではリスが木登りしています。やがてクロワッサンとコーヒーの朝食が配られました。Img_0001
どれくらい待ちましたでしょうか。ようやく列車は反対方向に動き出しました。どんよりとした空の下のどかな田園風景が広がります。Img_0002_1
やがて石造りの町並が広がり、停車した駅が終点エジンバラです。Img_0004_1 Img_0003_2 (写真は90型電気機関車と寝台客車)当時はまだ日本で欧州サッカーもあまりメジャーでなかったので、日本人観光客も今より少なかったでしょう。Img_0008_1
ここからエジンバラ城までは徒歩でアクセスできます。

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2007年6月20日 (水)

西荻窪・ロンドン

西荻窪から吉祥寺方向のガード沿いある定食店。斜め向いが大型古本店です。
Photo_104 古びた店舗で誰もいないので躊躇しましたが、ちょうどその日は早慶戦。店内でテレビ中継をやっておりましたので
何故ロンドン?わからないままに入ってみました。
おばあちゃんが店番をしていました。
「肉やさい炒め定食」を注文。テレビを見ている間に慣れた手つきでサッサッと作ってくれました。Photo_105
できたてを熱々のうちにいただきます。少し「味の素」粒が残っていましたが全体的にやや薄味が肉や野菜の旨みを引き出しています。
ご飯によく合い、しじみ汁で喉を通します。テレビでは斉藤投手が力投しています。あぁお袋の味、あぁ昭和。
550円で欲を言ってはいけませんが浅漬けか小鉢でももう1品欲しいです。あと、この時だけでも店の向いを走る中央線がガードでなく地平であれば言う事ないのですが。
でもいつから西荻窪がロンドンに??結局名前の由来はわからないままです。

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2007年6月19日 (火)

西荻窪・タイ国ラーメンティーヌン

西荻窪北口の狭いバス通り沿いにいつの間にかオープンしてました。
Photo_102 中華や西洋料理と違ってどちらかといえば珍しい国の店ですが、入り易い店だったのでフラリと立ち寄りました。
お店は現地タイの人の様です。2時半回っていましたが、数名が食事をしていました。
看板のサンプル写真から食べたい料理名を覚え、ガイパップクリラーカオ・トムヤムスープ付と注文。
意外と早く、待ち時間5分くらいでした。
Photo_103 挽肉と野菜のピリ辛炒め、ご飯には目玉焼きがのっています。
熱々の挽肉は肉汁たっぷり、玉子を絡めたご飯とよくあいます。トムヤムスープはやはり辛ウマいですが、独特の香りに慣れるのにはもう少し時間が必要です。
ここしばらくの間訳あってデパ弁生活を強いられていました。デパ弁そのものは悪くないのですが、冷えてしまっているのと似たようなモノばかりなので続けると結構マンネリで飽きます。
そんな胃袋にこのジューシーな肉汁野菜汁はありがたいエナジーになりました。侮れないエスニック料理、という感想です。
これからの季節にピッタリかもしれません。

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2007年6月18日 (月)

西荻窪・美南海

入梅したはずなのに暑い日が続きます。暖かい地方の料理を食べてスタミナ付けて暑さを乗り切りましょう。

Photo_98 西荻窪駅南口の駅前の雑然とした場所にあります。沖縄らしさを演出したそのお店はカウンターだけ8人位で満席となるこじんまりしたお店です。
2時半過ぎのランチだったので店は空いていました。
ソーキそばと豚丼のセットを注文。それほど待たずにまずソーキそばから出てきました。Photo_100
豚丼はまだ時間がかかりそうでしたので先に箸を進めます。
太い麺と薄味のスープ。沖縄独特でありながら万人向けです。豚角煮が入り、蒲鉾の絵柄が泣かせます。
少し遅れてやってきた豚丼は、きざみ海苔をしいたご飯の上に角煮をのせ、ゴマ葱タレでまとめた豚角煮丼といったところでしょう。Photo_101
タレも薄味で食べやすいです。どちらも刺激が少ないのは沖縄料理特有でしょう。セットで880円でした。

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2007年6月15日 (金)

201系H8(T107)編成

昨日、201系のT107編成、元H8編成が廃車のため長野へと回送された。
201系でやはり特筆される思い出は1986年の秋の改正で、定期で大月乗り入れを果たした事でしょう。
当時、高尾から先は連続勾配、低断面トンネルという厳しい条件のため、重装備の車両たちが活躍していた路線であったため、
パンタグラフを交換したとはいえごく普通の通勤電車が「山線」を走ることなど想像つきませんでした。
中間の運転台を覗き込むと「高尾以西運転可能車」というシールが貼ってあり、モハ201の車番の前に白ペンキで何かマークが書かれていたような..。
いずれにせよその後の活躍はご存知の通り、この区間の列車本数の増加にもなりました。
そんな201系たちもいよいよ終焉を迎えようとしています。
T107 T107編成。
H8 H8編成時代。雨の夜。いずれも中野駅にて。

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2007年6月14日 (木)

アルプス59号・1986

たしか、昭和61年の8月18日、夏の運行最終日に乗車したと思います。
夜行アルプス乗車のクセで早い時間から新宿駅でスタンバイしていましたが、待合せ場所が地下中央通路であったため、帰宅客から軽蔑とも受け止められる注目を浴びながら列車を待っていました。
車内はガラガラ、日付が変わった0時10分に新宿を出ました。珍しいブルー・トレインだけに帰宅時の酔客からはまずまずの注目でした。
最初の停車駅八王子で大停車。ホームで列車待ちをしている人たちと目が合い、やり場に困る。大月、先発の441M上諏訪行きを追い抜く。塩山、甲府、韮崎、小淵沢と列車はこまめに停車する。そのため眠れなかった。
上諏訪付近で空がなんとなく明るくなっている。あいにくの曇り空である。
床下発電機から振動でしばらく足がしびれてきた。折角の貴重な乗車体験なのに早く松本に着いてくれ、そんな思いがよぎった。
辰野を通り、塩尻へ。すっかり明るくなった塩尻峠の大八回りを車内から記念写真、59 「北オク」のスハフ12-149から後方です。
しかもその時随分写真を撮ったのですが、残っているのはこの1枚だけです。やがて列車は松本へ。曇り空で少しがっかりでした。
足のしびれはしばらく残りました。
機関車はEF64-35「八」でした。これも民営化の際JR東海に所属となり塗り替えられました。

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2007年6月13日 (水)

中野・比内や

お店は、中野駅北口からブロードウエイ方向に向かう途中を右折。いわゆる飲み屋街にあります。20070612124912
名前のとおり、秋田の郷土料理のお店でもあるようです。専門メニューのランチがあるのは喜ばしい限りです。
店内はそれほど混んではいませんでした。地鶏親子丼を注文。
1年半ほど前でしょうか、実家がいわゆる訳ありの引越しするにあたり自分の荷物を片付ける為昔のおもちゃなどをブロードウェイにあるお店に処分しにいった帰りにここで食べた以来です。
ダンボール1箱分のなつかしのおもちゃにもかかわらず、どれも使い込まれていたため程度は悪くここの昼代で消えてしまった悲しい思い出があります。
あの頃は辛かった...。後日アップします。
さて、思い出に浸っているうちに、まだ出てきません。来た時食べ始めたばかりだったカウンターひとつ空けた隣の席のキャリアウーマンを気取る40歳くらいの女性は食後のタバコを吹かしてます。
待つ事20分。運ばれてきました。女性は万札で勘定済ませて出てゆきました。
20070612124001 細かく切った歯ごたえのある鶏肉は地鶏でしょう。ただ卵が硬くなりすぎて天津丼?に近い部分もありました。あと、鶏肉を全面に引き出すつもりかどうかわかりませんが他に何も入っていません。
玉ねぎや蒲鉾なども欲しかったです。880円でした。

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2007年6月11日 (月)

アルプス11号・1984

これは1984年の8月21日に乗車した時のレポです。古い記憶と旅メモを頼りに記入していますので、曖昧な部分があるかもしれません。

Photo_97 すっかり夜行列車の虜になった自分は、その年の夏休みを利用して夜行アルプスに乗車する計画を立てた。
乗るならばやはり客車の59号。しかし多客期だけの臨時であり、貧弱な学生は新宿乗車時に間違いなく山男たちに潰される。
ではお盆を過ぎたあたりなら空いてくるはずなので「甲府2時」に魅力を感じて9号を選択。
ただ自由席が4両しかついていないので、諦め半分で11号にした。

当日夜、高まる感情を抑えきれず発車2時間前には友人引き連れ新宿駅に。3番線に列車が入線するが、駅員に尋ねるとぶっきらぼうに指示され2番線へ。まだ列にほとんど人はいなかった。
ひたすら待ちます。小田急デパート上の時計からようやく入線時刻が近づきました。貨物列車の隙間から3~5番線ホームを見渡すと、夜行列車揃い踏みで準備は整っております。

先発9号の列は駅員に連れられ階段へと消えてゆきました。(写真は9号)
9 しかしこちらの列は動こうとしません。やがて9号は発車しましたのでソワソワしてきます。
やがて、ようやく駅員がやってきて列車まで案内してくれました。先頭車のドアが開き、中へ。デッキをぬけ、ずらりと並んだボックスシートが着席場所を迷わせる。
とりあえず車両中央付近の進行方向右側を選択。荷物を置いてホームで買い物。懲りずにクーラーボックスから缶コーヒーを買う。向こうホームの5番線には441Mが満員の乗客を乗せ待機している。
車内に戻って落ち着いた頃、静かに発車。ポイントを渡り、11両編成は摩天楼の下を走る。
友人がM・ジャクソンのカセットをかけてくれた。どうせ車内はすいている。
クーラーからの空気が少々臭うので窓を開けていたが、検札に来た車掌に閉めるよう言われた。
いかんせん遅いので、併走する緩行線の「各駅停車」にあっさり抜かれる。帰宅客で混雑しているが、次の駅で抜き返す。
日付が変わって8分後に地元武蔵小金井通過。ここまで来ると高い建物は少ない。いつしか車内も暗くなる。立川通過し、最初の停車駅八王子。ホームに人はいるが、乗る気配はない。
ゆっくりと高尾を通過し、いよいよ山へ。トンネルが続く。外は見えないが、台風が近づいているため雨が窓を叩く。
大月を過ぎ、笹子トンネルを抜けて甲府盆地へ。進行方向左手の夜景がすばらしい。
やがて甲府へ。しばしの休憩。反対ホームには上りアルプスが停車中。雨は止んでいるがホームはびっしょりぬれている。
甲府を発車。茅野まで止まらない。時刻表を見る限りでは「あずさ」より停車駅が少ない、が、遅い。外は見えないがひとつひとつジョイントを刻む音でその遅さが想像つく。
寝たのかどうなのかわからないまま列車は茅野、そして上諏訪に。停車中にホームに降りたが記憶にない。
上諏訪を発車し左手に湖を望むが真っ暗である。岡谷通過のポイントを渡ると列車は目覚めたかのようにスピードを上げ、豪快にトンネルに突入する。2両目の先頭車のメーターを覗くと100キロを指す。
トンネルを抜け席に戻ると、車窓に見える東側の山の稜線の角に「?(よくわからない丸いものの一部)」が見える。その「?」がすこしずつ大きくなる。どうやら太陽の様だ。
塩尻に11分間停車。空がじわじわ明るくなってくる。塩尻を発車。スピードを上げる。雲がかかった山の向こうから太陽が光を放つ。しかし空の上はいまだ満天の星空。真夏だというのにオリオン座が見える。
わずか数分であるが忘れられない風景になりそうだ。
やがて列車はスピードを落とし松本へすべりこんだ。乗り換え客や寝顔写真を撮るグループ、車内はにぎやかだ。そうしているうちに隣の線路に「ちくま」が到着。機関車の音がたくましい。
ここからは大糸線。4両編成の各駅停車となって身軽に走る。
すこし雲がかかる。駅間距離が短いのと、コスモスが咲いている、以外に記憶はない。
11 5時39分、目的地穂高に到着。降りたのは自分たちだけだ。スロープで列車を見送る。ありがとう、クハ169-19。

この時の夜行列車の旅は、膨らんだ期待を更に上回るものであり、その後いうまでもなく急行型電車が好きになった。
自分にとっての「夜行列車」のイメージは「目がさめると見知らぬ世界」ではなく「朝焼けのクライマックス」という観念ができた。
当時ヒットしていた曲を聞くとこの日の出来事を、そして今も新宿から中央線で下ると大久保付近に続く進行方向右手カーブ外側の鉄柵を見ると当時のワクワクを思い出す。

駄文長々お付き合いありがとうございました。お礼にHPアルバム予定用のまさにその日の写真も小さくですが貼り付けておきました。

追伸:その2年後、このスタイルの列車は中央線から消え、細々と残っていた「アルプス」も21世紀初頭に消えてしまった。

忘れかかった頃、リバイバルで運転された。

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2007年6月 8日 (金)

201系H7(T106)編成

昨日、201系のT106編成、元H7編成が廃車のため長野へと回送された。
平日でもあり、言葉は悪いが「死に場所への旅」なのでなるべく足を運ばぬようにしている。
この「死に場所への旅」のニュアンスをもった言葉は、ずっと脳裏に刻み込まれていた。
それは、十数年前テレビで「新撰組」の簡単なドキュメントをやった時の土方歳三の会津から五稜郭へ向かう最期を表現した時使った言葉だったことを、つい最近思い出した。
そういえば、電車区のある豊田は日野市。新撰組ゆかりの地である。因縁だろうか。
H7 国分寺に入線するのH7編成時代。
T106 在りし日のT106編成。
T1062 水曜朝、偶然見かけたT102編成との並び。
T1066 結局行ってしまいました。編成札を外され住み慣れた豊田を後にするクハ201-69他H7(T106)編成。僚友に見送られて帰らぬ旅に出ました。
なんだか後になってじんわりとしてしまいました。さようなら。

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2007年6月 7日 (木)

京王バス超低床車

京王バスの超低床車が廃車になったようだ。府中営業所の片隅に方向幕、運賃箱や広告類、ナンバーを外され、いかにもレッカー待ちの様相である。
Keio1_1 車番からすると95年式で、この類では比較的初期のモデルです。Keio2_1 いずれも敷地外から撮りました。
この車がデビューした頃、小さなタイヤから異様に長く見える車体はさながらダックスフントに見え、低いステップで車内に乗り込むことができ、バスの進化に驚きました。
ただ、ワンステップとMTだったのは当時開発の途上であったのでしょうか。
これにより丸目5Eや3ドア車含む初期キュービックが置き換えらた記憶があります。
その2年後にミニバス、さらにその翌年からノンステップ車がお目見えして現在のスタイルが確立されました。
それからもう12年。キュービックももういない。時代の流れの速さを感じました。
毎日使われ続けているのだから相当な走行距離になるだろう。
バスも生活の足、変わりゆく風景の一部として写真を撮っておきましょう。後悔する前に。

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2007年6月 1日 (金)

6月ですが...

気がつけばブログを始めてもう半年。早いものです。
振り返ると、半年の間に随分と色々なジャンルで書いたものだと我ながら感心しています。

今月は精神的にかなり重く、辛い日が続きそうです。
しばらくはブログの更新も少なくなるかもしれませんが、継続できるよう努力いたしますのでお付き合いの程よろしくお願いします。
あと、ジメジメした季節ですので健康管理には気をつけていきましょう。

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