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2007年5月30日 (水)

府中・たまぞう

このお店は府中であるが、農工大の南側の国分寺街道沿いにあります。
Photo_95 この辺りは幼少期の自分にとって庭みたいな場所です。ここから少し南に府中団地があり、そこで生活していました。
その頃に毎年どこからか地図を貰っていまして、けっして精巧ではないその地図で町名やら道路やら駅などを少しずつ覚えていき、まだ行かぬ未知の土地への思いを馳せておりました。
その地図には北府中駅の南側から府中市を横切る形で線路があります。米軍基地まで続いております。それが現在の富士見街道であり、いわゆる廃線跡であるということは、ずっと後になってからです。
自分の記憶では、ちょうど舗装工事をしていた頃(昭和50年頃)が一番古いものであり、それ以前はわかりません。
さて人生初の廃線跡めぐり、富士見街道を自転車で走りますが昭和も終わるその頃にはもう鉄道の匂いはどこにも残っておりません。
最後の基地への入り口付近の数メートルも雑草が生い茂り、近寄ることは不可能でした。しかし、金網の向こうを横から見ると、敷地内の踏切り部分は掘り返された様な形跡が遠目にわかります。
金網沿いにはには駐車場がありその踏切のそばまで行くことができましたが、不審者と間違われてはと恐れ、あきらめました。
それからまもなくの元号が変わった頃、公園整備のため、ずべてが更地になってしまいました。
聞く話によれば昭和45年くらいは草ぼうぼうの獣道であり、東芝に勤める人たちの通路として利用されていたそうです。
さらに昔は米軍兵士たちの輸送も行っており、よく列車が動かなくなっては線路沿いの人たちとコミュニケーションをしていたそうです。
未だにこの線路には謎が多く、情報を求めます。
さて、だいぶ話がそれてしまいました。そんな場所に行列ができるラーメン店があり、気になっていました。
この日は行列も少なく、入りやすかったです。一番安い「豚麺」を注文しました。店内は若い人たちで賑わっています。
Photo_96 15分ほどで出来上がりました。見た目のとおりこってりで中が見えません。上にかかっている黒いのは、ゴマでした。
麺は細麺です。薬味に菜の花が入っていたのは初めてです。薄さ2ミリのやわらかいチャーシューが2枚のっています。
量はやや少なめですが、自分にはこれで充分でした。となりの席の学生はおいしそうに食べてました。バイオテクノロジーとか難しい事学んでいる人も、こういった物が好きなのでしょうか。

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2007年5月29日 (火)

眠れない夜 2

眠れないままに午前3時になってしまった。昭和59年の今頃。ラジオから「歌うヘッドライト」がオンエアされています。
単なる運動不足であろうが、悶々としてもしょうがないので時刻表を開いて前の年に松本まで乗車した夜行鈍行を思い出しながらトリップをしています。
Photo_94 甲府で1時間停車。ドアを手で開けホームに降りる。
ホームは乗客たちが降りて時間を潰している。タバコを吸う人、自販機で飲物を買う人。缶蹴りを楽しむヤングな兄さん姉さん・・。
最後部では荷物、郵便物の受け渡しをやっています。その横の真っ暗な身延線ホームにワインレッドの新しい電車がやはり荷物車を後ろにつけて朝を待っています。
時計の針は3時20分。時刻表に目をやると9号は塩尻にいます。11号は上諏訪を発車しています。先ほどすれ違った上り便はもうすぐ八王子に着きます。
ラジオから「矢切の渡し」「さざんかの宿」やはり演歌中心で、時たま歌謡曲がかかります。「トラック野郎」が流行っていた頃のドライバーの好みでしょうから仕方ありません。
前日の夕方18時10分に長野を発車し、一晩走り続けた上り夜行442Mは3時46分に立川を発車しています。武蔵小金井を56分位に通過。窓を開け、耳を澄まします。
遠くにジョイント音が聞こえます。この音で間違いないでしょう。
4時を回っています。早い出発のアルプスは松本に近づいています。13号は上諏訪です。客車の57号は小淵沢にいます。441Mは甲府を出ました。
なんだか空しくなってきました。そろそろ休もうか、と電気を消す。が、窓の外が青くなっている。
もう一度窓を開ける。東の空がうっすら明るくなってきた。西の方はまだ真っ暗。ヒヨドリが鳴き、少し離れた幹線道路を時折トラックが通過する。
441Mは韮崎あたりでしょうか。さすがに意識が無かったようで記憶がありません。
時間が経つにつれ、じわじわと明るくなってきた。赤く染まる雲。涼風の中を雀が飛び、朝刊を配達するバイクが走り回る。
東から光が差し始め、西の空も青くなっている。毎日繰り返されている当たり前の風景とは知らなかった。
気がつけばアルプス13号も朝日を浴びながら松本に到着するころだ。午前5時、深夜放送も終わりを告げ、一日が始まりました。
臨時の9631列車は走っていれば岡谷です。終着辰野も近いです。この列車は夜行425列車が電車化され441Mとなった夏から臨時で復活したと、鉄道雑誌の乗車レポで読んだ事があります。
臨時だけに接続が悪く、87年のGWあたりが最後だと思います。
441Mは小淵沢です。小海線に乗り換える山男たちが下車してゆきました。列車もここから通勤通学列車になり、まったりと松本、長野へと走り続けます。
さて、思い出もここまでにして寝ましょうか。

あっという間に起床時間。たった2時間しか寝ていないから体が重く吐き気がする。今日が日曜日だったらと恨めしく思いながら登校したのはいうまでもない。
その日どんな授業をどういう状況で受けたのは当然覚えていないが、10時3分、2時限目の授業中に441Mはようやく長野に終着。
そして数時間の休憩の後新宿に戻ってゆく。そして深夜再び長野へ・・。

夜行列車への思いが高まったのはいうまでもない。
しかし441Mは新宿から松本まで8時間かかってますね。この10年後にはスーパーあずさが同じ区間を2時間半で走破しています。

そして、期待に胸高まらせて乗車しました。

遂に叶った集大成はこちら。

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2007年5月28日 (月)

眠れない夜 1

夜、寝ようと床についたが寝付けない。昨晩もそうであった。
とにかく寝付かないと、とばかりに明日の事など考えるとかえって目がさえて悶々となる。
そんな時は思うがままにあきらめると意外と寝付けるものであった。

さて、これは今から23年前の話。とはいっても不思議な事が起こったわけでもない。
前の年(24年前)の夏休みを夢うつつで思い出しながら過ごしているのでご理解いただきにくい部分もあるがご了承いただきたい。
いつもどおり布団に入る。しかしどうしたものか、普段なら意識がなくなるはずであるがこの日に限り意識がはっきりしている。
しばらく目を閉じ続け、じっとしている。ダメ。寝返ってポジションを変える。それでもダメ。
そうこうしているうち家族全員寝たようで家や周りが静かになっている。
時計を見ると午前1時。かなり焦る。
やむなく起きて電気をつけて、とりあえず時刻表、中央線のページを開く。
Photo_93 (時刻表は最近83年9月号が入手できましたのでそれをまとめました。)
今現在アルプス9号、まもなく甲府。11号大月発車。13号は上野原付近か。
当時、松本まで乗車した初めての夜行列車・441M鈍行は、後ろに荷物車2両つけて堂々10両、相模湖を発車したところだ。
115系のサハ車2両をはさんで暗闇の山道を突き進む。窓を開けると冷たい風が心地よい。おっと照明が明るいから虫が入ってきた。
編成の後ろから荷物車の重いツリカケモーター音がこだまする。
律儀にこんな時間でもひとつひとつ駅に停まる。その度に乗客が少しづつ下車し、車内が空いてゆく。
でも発車の度に「ドカドカドカーン!」といった揺れは辛い。
1時45分か。9号はもう甲府を出たころだな。53号は走っていれば甲府着。11号は山梨市を過ぎ、13号は笹子トンネルあたりか。
441Mは大月停車中。新宿駅ホームでクーラーボックスを並べて売っているスタンドで大人びて買った缶コーヒーを開けて飲む。
時刻表のページをめくる。富士急行が河口湖行きを接続している。休日だけであるが2時20分発のこれに乗れば3時13分に河口湖に着く。
すぐにバスに接続し裏三つ峠に3時45分、ここまで行ける。富士山の御来光を拝めるのだろうか(ここはどうやらハイキングではなくクライマーの場所らしい。最近知りました。つまり朝からクライミングをファイト一発する人たちの為のアクセスですね)。
2時ちょうど。11号はキリの良いこの時間に甲府を発車したはず。13号は山梨市を通過したところ。441Mは笹子トンネルに向けて快速運転をしています。こんな場所でもう上り442Mとすれ違いました。
小型ラジオをボリューム最小にして聴く。DJがリクエストを読み曲がかかる。
40分が過ぎ、13号は今頃甲府。441Mは山梨市に到着して隣の席の人が下車。ようやくシートに横になれます。でもNCAAのショルダーバッグのベルトは離せません。大した物は入っていませんが。
横になったとはいえ発車時のショックはシートから落とされそうだ。うつろなまま甲府到着。
時計を見るともう3時。長い夜は「つづく」・・・。

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2007年5月25日 (金)

201系H24(T129)編成

昨日、201系のT129編成、元H24編成が廃車のため長野へと回送された。
確かこの編成もジェット音が響く車両が入っていたようです。
あれは武蔵小金井の踏み切りで、自動化されて間もなくの頃だったと思います。まだ2番線からの中線が東小金井の近くまで続いていました。
その後社会問題にまで発展した「開かずの踏切」を雨の中、延々と待たされていました。
何本か見送ってようやく最後の下りの「→」が消え、開くか?点滅ランプがこれで止まれば、その2~3秒の間に無情にも上りの「←」が点いて待たされるハメに。
そして列車は駅で客扱い発車後、加速しながら踏切を通過。「モハ」の1両から妙な金属音がして故障かと当時不安になりました。
この金属音こそが後に「ジェット音」と呼ばれ、201系の特徴となりました。
そんな特徴あるジェット音を持つこの編成も過去帳入りとなり、聞けなくなる日もそう遠くありません。
H24 H24編成時代。豊田に停車中。
T1291 国分寺にてT129編成。駄作ですがフロントガラスに桜でしょうか、花が写りこんで別れを演出されました。

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2007年5月23日 (水)

国分寺・DJANGO

国分寺から府中方面に徒歩10分くらい。国分寺街道沿いにあります。お店の壁が黒く塗られていますのですぐわかります。20070519134939
昼頃たまたま店の前を通りかかったらランチがやってましたので、店の中へ。
店内は木材やダンボールなどで手作りの雰囲気があります。
ランチはハンバーグ・カレー・スパゲティの3種類。いずれも1000円くらいです。
ハンバーグ店なのでハンバーグランチを注文。
まもなくコーヒーと豆腐の入ったサラダが最初に出てきました。20070519132509
それから10分ほど待ちましたところ熱々のプレーンハンバーグが出てきました。上に玉子がのっています。20070519132600_1
では、いただきます。
ハンバーグも中までしっかり焼けております。デミグラスソースはやや薄めの味付けです。20070519132727
マスターからライスのお替りをすすめられましたがサラダやスープ、コーヒーまでついて満腹でしたので遠慮しておきました。
好みにもよりますが欲を言えば玉子はもう少しやわらかかった方がよかったかもしれません。

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2007年5月21日 (月)

吉祥寺・武蔵家本館

4月17日アップした武蔵家のこちらが本館。ラーメン専門です。
Photo_91 昼過ぎくらいでしたが、中を覗くと席が空いていました。
前から気になっていましたので600円のラーメンの食券買って立ち寄ってみました。
お店の中はカウンター15席くらいで厨房を取り囲むように配置されています。
ここの特徴は「スープの濃さ」「油の量」「麺の硬さ」を客が気兼ねなく注文できるところです。
初めてでしたので全て普通で作ってもらう事にしました。
ある程度の待ちは覚悟していましたが10分待たずに出てきました。
Photo_92 いわゆる「こってり系」です。麺は極太。今まで食べた中で最も太いかもしれません。
そのほかにチャーシューと大きな海苔3枚、ほうれん草がのっています。
太麺は意外とやわらかく、食べやすいです。しかしスープが少し絡みにくいような・・・。
チャーシューもやわらかいです。欲を言えばもう少し葱などの薬味や野菜が欲しいところです。

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2007年5月18日 (金)

201系H23(T125)編成

昨日、201系のT125編成、元H23編成が廃車のため長野へと回送された。
ふと思い出した。中央線に201系がデビューした小学生時代。「前が黒い電車」と友人から聞き、その後まもなく底意地悪く絵を描かされた。
わからないままに書いた絵から「これって103系じゃん。」当然と突っ込まれた。高運転台の103系こそが当時最新通勤型国電であった。それしか知らなかった。
その後しばらくどんなものかわからずやきもきし、悔しい思いをした。ようやく図書館で鉄道趣味誌からその姿を目にすることが出来た。
前面の上半分が黒く、左右非対称な窓配置とやたら高い位置にあるヘッドライト。いまひとつ好きになれなかった。
サイドの張り上げ屋根も京王6000系で見慣れていたせいか、雑誌などで騒がれるほどの強いインパクトはなかった。
乗り心地も103系よりも格段に良くなったはずなのに、子供心に何も感じなかった。
しかし後に大月まで定期で乗り入れたときが一番の驚きでした。
このH23編成に限った話でないので申し訳ないが、そういった新しい電車が目の前からお役御免と去ってゆく。改めて時代の流れを感じます。
T125 T125編成。ぶれていますがこの時撮ったきりでした。
H23 H23編成時代。こちらもぶれていますがやはりこれ1枚しか撮っていませんでした。

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2007年5月17日 (木)

中野・佐世保バーガーザッツ

日常的に中野を利用している身分としてはこの店を紹介しないわけにはいきません。
佐世保バーガーを東京で食べられる店として昨今話題のお店です。
中野南口から丸井の横を入って少し歩くと、あぁ行列。この店です。2年前食べたときは行列もなくすぐ食べられたのに。
あきらめて帰るわけにいきませんので、少し歩いてもう1店舗の方へ。6人しかない客席にカップル1組だけでした。
Photo_88 若い男性が調理し、2人の若い女性が盛り付けなどを担当しているようです。
佐世保バーガーと勧められたオニオンリング、飲物はジンジャーエールを注文しました。
目の前で焼き始めました。待ち時間は10分ほどでしょうか、手作りの割りに待ち時間は少ないです。
Photo_89 ご覧の通り、なんだか大陸的です。黒船到来とでもいったところでしょうか。
つぶして召し上がりください、と言われましたがその前に中身を確認。上からレタス、トマト、ベーコン、目玉焼き、ハンバーグをバンズで挟んでいます。
たしかに潰さなければ顎がはずれます。
Photo_90 熱々の肉汁たっぷりハンバーグと玉子とベーコン、それをトマトとシャキシャキのレタスが口の中を冷やします。
何十年もの味を守り通している為かスパイスは特に効いていません。でも鮮度が良く大人の味です。
テレビからサザンオールスターズが流れている。「勝手にシンドバット」でデビューし、巻き舌早口で歌ってしかもさびが「今何時?」その姿は子供心にコミックバンドと思っていた自分。
あれから何十年経ち、そんな彼らもすっかりダンディ?になり、そんな大人の曲が肉と炭酸水の胃袋を染み渡らせてくれます。子供の入る店ではなさそうです。
サイドで頼んだオニオンリングがやや濃い味でアクセントになります。
レギュラーサイズでしたがしっかりお腹にたまり、満足です。
これだけ食べて1210円。値段も大人でした。

2008年5月1日更新

今はこの場所にお店はありませんので駅近くの店舗をご利用ください。

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2007年5月16日 (水)

北千住東武駅構内・染太郎

湯野上温泉の帰り、東武鉄道の区間快速で延々と5時間かけて漂着した。快速とはいえほとんど各駅停車だったので久々の気分が悪くなる疲労感。
ちょうどヨーロッパから直行便で成田に着いたときの疲れに似ています。
空腹が原因かもしれませんので、構内を探すとちょうど良い店を発見しましたので吸い込まれるように店内へ。
Photo_86 染太郎、本家は浅草にあるそうです。
セット名は失念しましたが、お好み焼きをパンで挟んだものとサラダのセットを注文。
そばの入ったお好み焼きをパンで挟んだものだが、やきそばパンというものが世の中にあるので違和感がありません。
炭水化物だらけですが。Photo_87
5分待たずに出ました。無意識にむさぼるように口の中へ。ソースがはみ出しますがかまいません。
この江戸のソース味。胃袋が喜んでおります。サラダもいけます。ただのキャベツのきざみなのに。
最後はコーヒーで締め。大満足です。
やはり食べなれたものが一番口にあっている。そんな気がしました。

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2007年5月15日 (火)

湯野上温泉・十念の庵

まず、会津鉄道の湯野上温泉駅を紹介します。かやぶきの駅舎は日本で唯一だそうです。Img_0027

その湯野上温泉から国道を会津田島方向に向かったセブンイレブンの駐車場の一角で営業しております。結局朝から湯野上温泉駅で「ところてん」を食しただけだったので腹が減って機嫌が悪かった。Photo_82あぁノーカロリー。
Photo_83 女将さんにけんちんうどんとしんごろうのセットを注文。
囲炉裏にさしてあるしんごろうなるものを差し出された。Photo_84 長野の五平餅?とも思ったが、
ご飯粒をつぶさないように握った周りにじゅうねんなるお味噌でしょうか、周囲につけてあります。串のままいただきます。塩辛くはありません。2_4
栃の実に似た感じです。少し遅れてけんちんうどんが来ました。Photo_85 大根やしいたけなど野菜がいっぱいです。麺は平たくじゅうねんが入っているせいかやや茶色、出汁も「いなか風」で、体内に染み渡っていきます。
空腹が満たされます。元気になったところで帰路に着きます。

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2007年5月14日 (月)

浅草発会津田島行き

以前から気になっていた私鉄で二番目に長距離(190.7km)を走る東武鉄道の快速列車に乗車。ちなみに最長は近鉄の京都~賢島間(195.2km)の特急です。
1都4県を約3時間半かけて1日7往復走っています。
お目当ての列車は浅草午前6時20分発会津田島9時45分着。
Bunji まずこれに乗車、着座するため地元国分寺を午前4時47分初電から乗り継いで浅草に向かった。
Nakano 中野もまだこんな時間。GWだけに人影もまばら。
Asakusa 浅草6時前着。駅にも人は少ないです。Asakusa3
6時10分頃入線。車輌は6050系6両編成。80年代テイスト溢れるデザインで、親近感がわきます。そして4人掛けのボックスシートがならんだ車内はいささか貴重になりつつあります。Asakusa2
列車は定刻通り発車。Sumidagawa 隅田川を渡ります。いよいよ長い旅が始まり、気持ちが高揚します。
北千住で満席になり、立つ人もちらほら。春日部、東武動物公園で乗車する人も多く、かなりの混雑となりました。
Tonegawa 午前7時半頃利根川を渡ります。だいぶ景色が広くなりました。山桜やツツジが車窓に彩りを添えます。
Sinkanuma 午前8時新鹿沼付近。今市はもうすぐです。
Imaichi 午前8時14分下今市着。6両の前2両日光に向かうため切り離します。
下今市にはホームで駅弁の立ち売りがあると聞き楽しみにしていましたが、停車時間を利用して探しましたが残念ながらまだこの時間売っていませんでした。
午前8時18分下今市発。鬼怒川線に入ります。急カーブの連続でスピードが出ません。
Kinugawa_1午前8時40分鬼怒川温泉着。深い渓谷に所狭しとホテルが立ち並んでいます。
新藤原8時50分着。これより後ろ2両を切り離し野岩鉄道に入ります。
565 竜王峡、川治温泉を止まるごとにハイカーが下車してゆきました。
Photo_79トンネルと橋が続きます。
Aizukougen 会津高原付近までは桜が満開です。
午前9時14分会津高原尾瀬口着。ここから会津鉄道になり、20分ほどで会津田島に着きます。Tajima のどかな山里をリズミカルなジョイントで駆け抜けます。
Photo_80 午前9時45分会津田島終着。皆様お疲れさまでした。
ここから乗り換えれば1時間ほどで会津若松に着きます。
見知らぬもの同士が4人掛けのシートに向き合って目的地に向かってゆく。正直かなり窮屈で時代遅れといわれればそれまでかもしれないが、このまったりとした疲れも後になれば楽しい旅の思い出になる。こんな旅も悪くない。

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2007年5月11日 (金)

201系H4(T104)編成

昨日は201系のT104編成、旧H4編成が廃車のため長野へと回送された。一昨日にT130編成が廃車回送されたばかりですので、今週は2編成目となりました。
そろそろ201系とE233系の比率は半分位になったでしょうか。
4月末に先立たれたT120編成と。T104編成札はこの時だけしか捕らえておりません。
T120t104 H4編成時代。国分寺入線。H4
随分とお会いしていました。H45 H46
最後は最後尾にて、お疲れ様でした。H41end

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2007年5月10日 (木)

勝田駅前・フライデー(地雷源)

ひたちなか市の中心、勝田駅前に最近オープンしました。
駅前には他に食堂が数件しか見当たりません。どの店も値札が無く入りづらいのでこの店にしました。
杉並方南町ののれんわけなので気持ち少々複雑なレポです。
Photo_77 店内はモノトーンで、ジャズバーを連想させます。先客は7~8人でした。
この店の売りである「濃厚つけ汁そば」食券を購入。意外と早く待ちは10分ほどで来ました。Photo_78
もやしの下をほじって麺を箸に絡めます。かなり太くて平べったいです。
スープも謳い文句の通りかなり濃いです。が、麺をつけて食べると意外と食べやすいです。
胡麻の香りがします。
食べ終わったころ、「さし湯です」と差し出されたお椀の中を見ると、濃厚豚骨のスープです。
残ったつけ汁にうめて味わいます。こってりです。後でお腹がゆるくなるかもしれません。

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2007年5月 9日 (水)

201系H25(T130)編成

昨日、201系元H25ことT130編成が長野車両センターへ廃車のため回送された。
H編成の最終番号という事であったので廃車はもう少し後かと思いました。
遭遇率が高かったので写真が多く残っています。
H25 夕陽にギラリ。西八王子にて。
T1302 T130編成になってから。中野にて。
H256 ボケていますがさよならを語るにふさわしい後姿です。お疲れ様でした。

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2007年5月 8日 (火)

吉祥寺・びっくりラーメン

吉祥寺から西荻窪方面、五日市街道沿いの中央線ガードそばにあります。個人的にとても意義ある場所です。Photo_75
なにがびっくりかと言うと、値段でしょう。ラーメン、餃子それぞれ180円(税別)ですからね。
つまりラーメンと餃子を食べても400円でお釣りがきます。
そんなお店で塩ラーメンと餃子を注文。あまり待たずに出てきました。
Photo_76 早速食べてみると、麺はやわらかく塩味だけにスープもかなりあっさりしています。
餃子も無難な味付けとなっています。全体的に家でつくるラーメン餃子といったところでしょう。安いからといって悪いものではありません。
「昭和の味」がコンセプトだそうですので、ではこの界隈を想像で昭和中期に再現します。3_4
高い建物もそれほど建て込んでなく、五日市街道の交通量も少ないですが、中央線も高架ではなくまだ踏切のため渋滞していました。
さすがにこの時代にタイムスリップして生活する気はありませんが、少しの間なら遊び行きたいですね。

話に聞くと、どうやら閉店したようです。H19.10.5更新

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2007年5月 7日 (月)

遅ればせながらの鯉のぼり

休み中に探したら出てきました。いつ頃撮ったものでしょうか。
もうすでに工事たけなわでまともに写真は撮れませんでしたが、どうにか見れるものをアップします。
和泉多摩川と登戸の間の多摩川鉄橋です。Img

ロマンスカー10000系です。

Img_0003 Img_0004 現在は新しい橋が完成し、このアングルでの写真は撮れなくなっています。

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2007年5月 2日 (水)

不思議な踏切

青梅線昭島駅ホーム上で撮影。警報機が塀を向いています。その向こうの銀行も「昔の名前」です。Img_0002
かつてこの場所に道路があって、後に列車編成が長くなりホームも伸ばした為に踏切が廃止になったのか?
そうならば当時は長い編成の貨物列車が往来し、側線や引込み線なども機能していたから時間帯によっては「開かずの踏切」であったであろう。
それにしては建物や道路との位置関係がおかしいし、駅前だというのに車がすれ違える幅でもなさそうだし、しかも踏切の形状も古くはないのでここで貨物の受け渡しをしていた頃ではなかろう。
この場所が廃止になったが近場に代わりの踏切りは無い。対面に装置はなかったので何かの実験用か。
謎は深まりどなたかご教示いただければですが、肝心の踏切はいつの間にかなくなってしまいました。

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2007年5月 1日 (火)

5月です

先月もどうにか1ヶ月持ちこたえました。ただ、19日と24日は更新できなかったのが悔やまれます。
理由はネタ切れをおこしはじめています。
長編を何回かに分けて連載してゆかと思案中です。
5月病にかからぬように頑張って乗り切りましょう。

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